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猿橋溶岩(山梨):[富士山シリーズ]山頂から流れた8000年前の溶岩の崖

カテゴリー見出地形地質

猿橋代表

【この「カテゴリ地形地質探訪記」はこれまで地学に馴染みのなかった方に、大地の成り立ちの面白さを伝えるために作製しています】

名称猿橋溶岩流 : さるはしようがんりゅう
地質百選Ⅱ (猿橋は周辺景観も含めて国指定名勝史跡特別天然記念物)
所在地山梨県大月市猿橋町猿橋
交通機関富士急山梨バス:猿橋バス停下車、猿橋へ100m、猿橋から遊歩道あり
中央高速バス:猿橋バス停から東南へ500m・徒歩10分
マイカー中央道大月ICから国道20号線を東京方面へ6km
駐車場:猿橋公園郷土資料館前に10台ほど、ほかに数台程度の駐車場が幾つかある。いずれも無料。
その他の基点JR猿橋駅から東へ1200m、猿橋公園の先から遊歩道へ入る
JR大月駅から東へ4km
付帯施設特になし
問合わせ大月市観光産業課
0554-20-1829

◇地名等読み方
桂川:かつらがわ 葛野川:くずのがわ 都留市:つるし 
楽寿園:らくじゅえん 愛鷹山:あしたかやま 玄武洞:げんぶどう 神鍋山:かんなべやま 大谷石:おおやいし 凝灰岩:ぎょうかいがん 柱状節理:ちゅうじょうせつり 

猿橋地形図
 

■概要

猿橋現地説明板 設置されている説明板
[説明板の文章]
今より約6000年前の新富士火山古期溶岩流が、富士山より延々30km以上を桂川に沿って流下してきた溶岩流の末端部です。この溶岩は、厚さ約9mの玄武岩からなり、上・下限は岩さい状の溶岩で、冷却固化した時に中の揮発性のガスが逃げた穴が無数に見られます。溶岩流中心部には材木を並べたように見える柱状節理がきれいに発達しています。 大月市


(筆者による注)
・流れた時期について現地説明板では上記のように「6000年前」と書かれているが、通常は8000-8500年前とされている。
・富士山が1万年前ころに四方八方へ流した溶岩流のうち、最も北で残っているものが猿橋溶岩。逆方向で南に達したものが三島市の楽寿園に残っている。

■見学詳細

猿橋遊歩道 遊歩道の様子。画面右に柱状節理の崖がある

溶岩末端は垂直な崖として残り、舗装された遊歩道が猿橋から溶岩流の露頭、猿橋公園にかけて上り下りしながら通じている。木が茂って近づきにくく、岩の様子がよく見えないのが惜しい。観光客は国指定名勝である猿橋に集まり、溶岩流は注目されていない。30分で橋と岩の両方を鑑賞できる。


■崖の構造

猿橋崖縦位置 柱状節理を含む溶岩が固まった玄武岩の崖。上は民家らしい。

・画面下部で並んだ柱に見える柱状節理は高さ2m程度。すぐ下は節理にならず細かく砕けた様子を見せ、さらに下層は細かい土砂に河床の転石らしき丸い岩が混じっている。この下層は溶岩流の来る前の桂川河床であり、もともとこの位置を川が流れていた。溶岩流の影響で川は低くなったのである(後述)。
柱状節理の上は同じ玄武岩ながら柱状でなく不定形に割れている。溶岩流が落ち着いたあとの岩屑(がんせつ)であろう。


■対岸の緑色を帯びた白い岩は何か

左岸の凝灰岩 猿橋溶岩に向き合う左岸の様子甌穴も見られる。

猿橋溶岩流は桂川の右岸(富士山寄り)だけにある。富士山から流れてきた溶岩がここで川に流れ込み、激しい蒸気を上げながら急冷され、すぐに固まっていったことが想像できる。溶岩流を直接に止めたのは桂川の水で、桂川をここに流していたのはこの写真で白い岩肌を見せている凝灰岩である。

凝灰岩とは基本的に火山灰の固まったものである。ただし、ここの凝灰岩は富士山が形もなかった遠い昔に、海中の火山活動で作られた岩だ。写真でも見て取れる緑色を帯びているのは、水中での火山活動の証拠である。緑色凝灰岩、またグリーンタフとも言われ、壁材に多用される大谷石と同じタイプの岩である。

なぜこの内陸の地に海底火山の岩があるのか?それは富士山がなぜそこにできたのかを語るのと同じくらい複雑な問題になってしまうので、ここでは深入りできない。「地形地質探訪記」の[富士山シリーズ]として徐々に考察していきたい。

これだけは覚えておきたい。富士山はそれら周辺の山や岩よりも、遙かに新しい山である。火山活動をしていた海底が陸地となって火山活動を終えたあと、遅れて始まった噴火によって富士山は成長していった。わずか8000年前、猿橋溶岩をもたらした噴火活動を縄文人は目撃している。


■猿橋が架けられることと溶岩流の因果関係

猿橋 名勝・猿橋

橋の建設には長さが短くて済む狭い場所を選ぶものである。名勝・猿橋がこの位置にあるのは必然による。
長さは31m。短いゆえに特有の「肘木構造」という工法が採用されている。
ではなぜここが狭い谷になったのだろうか。

地形的に何が起きたのかをたどってみる。
流れ込んできた溶岩流によって桂川、そしてすぐ上流で合流する葛野川は一時的にせき止められ、上流側に長さ1000m程度の湖が出現しただろう。
その時、ダムに溜まった水の出口では狭い隙間になったことで流速が増し、凝灰岩層は下への浸食が進んだ。凝灰岩は溶岩の固まった玄武岩より軟らかいので浸食作用が集中する。流出口が徐々に削られ低くなっていくことで湖は土砂に埋まり切る前に消滅し、現在の峡谷と川に沿ったなだらかな河岸段丘を残した。

川は狭くなると流速が増し、浸食力が強くなる。水に接しない上方では浸食は起きず、川床が弱ければどんどん下へ掘り下げられ狭くて深い峡谷ができる。崖が崩れなければ上部は狭いまま保たれる。やがて桂川は元の河床より低い位置を流れるようになった。

猿橋から上流側と新猿橋 猿橋から上流側を見る

このように溶岩流がやってきたことは桂川を狭く深くし、猿橋は中でも一番狭い位置を選んで架橋されることとなった。上にある崖を縦に写した写真で柱状節理のすぐ下が溶岩流以前に川の流れていた高さに該当し、そのあと現在の水位まで下方浸食で5mくらい低くなったらしい。


■溶岩が遠くまで届いた理由

富士山の頂上から猿橋まで地図上で30kmある。流出口は山頂付近と言われている。これほどの長距離を流れた溶岩は国内であまり例がなく富士火山の特殊性を物語る。

さらさらと速く流れる性質でなければ空気に冷やされて短時間に固まってしまう。火山の溶岩には玄武岩質から安山岩質やデイサイト質まで様々にタイプがあり、猿橋溶岩は流動性の高い玄武岩質である。

このタイプは国内で現在活動している火山としては富士山から伊豆諸島しかない。他の火山はほとんどが安山岩質のため流動性がやや低く、玄武岩質マグマより流れが遅い。猿橋溶岩は富士山特有の玄武岩質だったため、遠距離を到達したと言える。

なお30kmの距離を地表で流れたように想像すると誤解が混じる。溶岩流の表面が空気に触れて固まり、固まっていない内部が「溶岩トンネル」となって、遠くまで届いたとイメージするほうが正確である。

山頂からの流路白山岳から

■猿橋溶岩はどこから流れ出たのか?

溶岩は8000年から8500年前に固結したとされる。噴火口から流れ出して猿橋に至り冷え固まるまでは、溶岩の流速から考えて遅くとも数日、おそらく1日以内と見られるので噴火時期も同じである。富士山成長史の通説によればその時期は頂上付近からの噴火を続けていて、標高を間もなく3700mまで届かせようという成長期だった。

猿橋溶岩も頂上から流れ出たと推定されているが、はっきりしない。
なぜなら流れているものは急斜面に残らないし、その後も激しい噴火活動を続けたため地形が変わり、表層が新しい噴出物で覆われてしまっているからである。しかし頂上に残る溶岩の痕跡をよく鑑定すれば、判明するのではないかと期待もしている。


■猿橋溶岩と富士火山の特殊性について

富士山が国内で特別な火山であることは明白で、色々な観点から興味をかき立てられる。猿橋溶岩の流動性からは何が類推できるのだろう。

昭和に入って溶岩を流した鹿児島の桜島(別稿参照)も秋田の秋田駒ヶ岳も、溶岩は安山岩質で流動性が低く、ゆっくりと動いた。桜島の噴火では流速が歩く程度だったため、溶岩に巻き込まれての犠牲者はいなかった。秋田駒ヶ岳は量が少なかったこともあり、600m先の斜面途中で止まってしまった。

なぜ、国内で富士山から伊豆諸島だけが玄武岩質溶岩を出すのか?
その鍵はユーラシアプレートへ潜り込むフィリピン海プレートの動き、フィリピン海プレートに潜り込む太平洋プレートの動きに関係してくるのだが、筆者の知識では十分答えられないというだけでなく、実はまだ未解明の部分が多い。富士山がなぜそこに誕生したのかを誰も説明できないのと同じである。

ちなみに、玄武岩質溶岩の地形は他の場所にもたくさんある。山陰地方・兵庫県の玄武洞は100万年以上前の見事な柱状節理であるし、近くの神鍋山は2万年前まで溶岩を流していた。しかし現在は静穏になった。これら山陰地方に明瞭な形を残している火山が玄武岩溶岩を出した理由に加え、なぜ活動しなくなったのかも、納得いく説明はなされていない。

火山を表面的に見て分類することは簡単だが、その根源的な説明となるとまだまだ謎の多いのが現状である。それだけに想像が面白い。


■三島溶岩流について

猿橋溶岩流は先に流れた静岡県三島市の楽寿園に残る三島溶岩流も一緒に考えると良い。

三島楽寿園 楽寿園内に残る溶岩流

猿橋に流れた8500年前と言えば地質学ではごく最近の出来事で、富士山の成長過程では「新富士火山」と呼ばれ現在とほぼ同じ姿になっていた。
三島市の溶岩も同じ新富士火山期だが、時期は2000-3000年ほど早く、現在から10500年前と測定されている(現地説明板では14000年前としている)。
やはり富士山の山頂から流れ出た玄武岩質の溶岩が、南東斜面を流れ下り、聳えていた愛鷹山の東麓を回って、三島に至った。ここでは厚みがないためきれいな柱状節理ではないが縄状や餅状を呈している。


◇訪問散策雑感

猿橋溶岩流や三島溶岩流は観察範囲がわずかで、この地点だけと考えるとわざわざ手間をかけて訪れるほどではない。猿橋溶岩は猿橋を、三島溶岩は楽寿園を見学するつもりで訪問したほうがよさそうだ。筆者の訪問時にはいずれも岩を見学する人はほとんどいなかった。地学の鑑賞ポイントはまだまだPRが不足しているのだろうか。

いずれ別稿で頂上の観察や本記事で触れた玄武洞などについても紹介を試みる予定である。


■最新訪問時期:2012年8月

■主な参考図書
『伊豆・小笠原弧の衝突』藤岡換太郎ほか、有隣親書
『山梨県地学のガイド』田中収編著 コロナ社
『火山を読む』守屋以智雄 岩波書店
ほか、多数のHPも参考にさせていただきました。




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