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天橋立(京都):天下の名勝はなぜ変わったのか

カテゴリー見出地形地質

天橋立代表
文殊側・天橋立ビューランドから

ーもくじー
・基本情報(表)
・天橋立の概要
・難読地名など
・見学詳細
・地形地質の概要
・天橋立の詳しい現況
・一般的に砂嘴の形成される仕組み
・各地の砂州
・天橋立付近の長期にわたる海岸の変遷
・天橋立はどのように形成されたか
・砂州の縮小問題
・磯清水の不思議
・クロマツの分布
・古代史舞台としての宮津
・現在と将来の天橋立


名称天橋立:あまのはしだて
国指定特別名勝 丹後天橋立大江山国定公園(2007年に若狭湾国定公園から独立) 地質百選 白砂青松百選 日本の道百選
「磯清水」は名水百選
所在地京都府宮津市文珠/江尻
交通機関      [文殊]
北近畿タンゴ鉄道宮津線・天橋立駅下車、天橋立へ渡る小天橋まで300m
[江尻]
バス停「神社前」または「江尻」から天橋立入口まで約500m
マイカー(文殊側、江尻側共通)
有料駐車場多数あり500-1000円、400台収容の智恩寺駐車場は600円
・無料駐車場なし
問合わせ[天橋立観光協会]
0772-22-8030
http://www.amanohashidate.jp/
[天橋立ビューランド]
0772-22-5304
http://www.viewland.jp/


天橋立代表地形図連結

■天橋立の概要

天橋立は海流によって運ばれた砂が厚く堆積し細長く延びた半島を形成した地形で、砂嘴と呼ばれる。
5000本とも8000本ともいう松林と砂浜による白砂青松の景観が松島、宮島と並ぶ日本三景のひとつに数えられ、古くから和歌や絵画の題材にされてきた。
結ばれた土地を指すとき、南側を文殊、北側は江尻、あるいは府中と呼ぶ。
晩年の雪舟の筆になる「天橋立図」は宮津湾を挟んだ東側から眺めた図で、永く籠神社が伝え、のち京都国立博物館が所蔵している。

■難読地名など
宮津:みやづ 与謝野町:よさのちょう 江尻:えじり 文殊:もんじゅ 阿蘇海:あそかい
世屋川:せやがわ 畑川:はたけかわ
智恩寺:ちおんじ 成相寺:なりあいじ 籠神社:このじんじゃ 
蛭子山:えびすやま 久美浜:くみはま 三方湖:みかたこ 気山川:きやまがわ
◇用語
砂嘴:さし 砂州:さす 釈日本紀:しゃくにほんぎ 堆砂堤:たいさてい
柳ヶ瀬断層:やながせだんそう 甲楽城断層:かぶらぎだんそう 三方断層:みかただんそう 


■見学詳細


・天橋立は入場自由、125cc以下の2輪を除く車両通行止、遊歩道あり
天橋立江尻側入口 江尻側の入口

・全長3.6km、休憩所・トイレあり
・横断距離は2.5km
・文殊側に2本の橋があり、回旋橋の「小天橋」は船舶通行時に待たされる。
天橋立廻船橋
「小天橋」:橋が90度回転して船を通し歩行者は待つことになる。観光用に演出効果を意図しているという

・観光客は文殊側に多く、江尻側では籠神社参拝客が多い。
→距離があるため全体を歩く観光客は少ない。文殊側から天橋立公園付近(約700m)まで往復する人が多い。

・もっとも一般的な見学方法は文殊側(南)でモノレールまたはリフトを利用して「天橋立ビューランド」に上がり、股覗き展望台から眺めること。
→天橋立駅から徒歩300m、モノレールとリフトは並んで運行し同料金。基本850円、HPに割引クーポンあり。観光案内所に割引券あり。
・ビューランドは営業時間のみ入場可能(そのため早朝・夜間の写真撮影などは不可)
天橋立股のぞき ビューランドの股のぞき

・江尻側では天橋立ケーブルカーまたはリフトで笠松公園から眺められる。
・両側を結ぶ観光船の運航あり。


■地形地質の概要

天橋立は若狭湾の西部、宮津湾に北から南へ発達した砂嘴と呼ばれる地形。
地形用語の「砂州」とも呼べる。砂州は砂嘴のうち、よく発達して内湾を形成しているものを指し、天橋立は該当する。
従来から言われている成因は、花崗岩の石英粒子を運んできた野田川からの流れが湾の中で反対から流れてくる沿岸流にぶつかり両者の砂が海底に堆積し、海面の低下したことで陸地となったとする。これに疑問が出されている(後述)。
天橋立地形図海流 天橋立へ向かう海流と、砂を供給する主要河川

■天橋立の詳しい現況

・北砂州と南砂州を合わせて天橋立と称する。
・阿蘇海は汽水。
・南砂州は江戸時代後期に出現し、明治にかけて発達した。新田開発で野田川からの土砂が増加した影響と言われている(異論もあり)。
・クロマツの枯れ死が増えている。マツクイムシの被害が拡大していることが主因と疑われ、処置の結果小康状態にあるという。

・内湾側の阿蘇海は水深が12m、外湾の宮津湾は20mある。天橋立は海抜1mで、海底からは約20mの盛り上がりである。

・北砂州は長さ2500m、幅は平均60m。高さ1.4m。10cmから30cm大の礫。、
・北砂州の南寄りでは徐々に幅が広がり、150m。礫も細かくなり、高さは0.5mまで下がる。
・南砂州は長さ900m、高さ0.4mほど。陸地とは30mの人口水路で隔てられている。
 天橋立南部拡大
天橋立の文殊側(南)拡大図。二つの橋が架かっている個所で、阿蘇海と宮津湾の水が出入りしている。南砂州の西側は人口の水路



◆一般的に砂嘴の形成される仕組み


水に巻き上げられ運ばれてきた砂は、流れが遅くなるにつれて重い粒から底へ沈殿していく。
天橋立では西南方向から野田川が陸地の砂を運び込み、また北方向から丹後半島を回り込んだ沿岸流が世屋川畑川のもたらした砂を運ぶ。この両者は正面からぶつかり、流れが減速するために砂が水底に沈殿し堆積していく。砂嘴が形成され始めると流れはそこで常に減速するようになり、さらに成長していく。

(砂は水が上下方向に渦の動きを続けている時に運ばれる。渦の上下動は、流れが表面付近では速く、水底付近では摩擦によって遅いために起きる。渦の上下動は幾層にもなり、水深が浅く流速が速いほど激しくなる)

そうした沈殿物が陸地になるためには、更に条件が要る。
海水の動きは表面に近いほど速いため、軟らかい堆積がゆっくり上昇してくれば海面近くになって削られる。弱い堆積層が続く限りいつまでも陸地にならず、遠浅の海ができる。砂嘴として成長するためには、堆積層が表層流の侵食作用に優越する必要がある。

天橋立の場合、ひとつには海面下に堆積の盛り上がりがあったところに海面の急速な低下が進んだため、侵食されるより早く波の届かない陸地になったと考えられる。それ以上の要因として注目されているのは、侵食されるはずの時期に、堆積の急激な進行があったらしいことが分かってきた(後述)。

◆各地の砂州

◇鳥取県弓ヶ浜
天橋立弓ヶ浜
弓ヶ浜は全長17kmになる大規模な砂嘴で、海抜は4mに過ぎないが堆積している土砂の量はかなり多い。その供給源は標高1700mの大山であり、数万年にわたって大山火山の崩壊した土砂が弓ヶ浜に打ち寄せられてきた。最近300年ではこれに砂鉄採取のため人為的に山を崩す「鉄穴(かんな)流し」が拍車を掛け、また大正以降は逆に浜が痩せてきている。

◇北海道野付半島 (砂嘴であり、砂州とは呼べない)
天橋立野付半島
砂嘴の長さは26km、根室海峡を北東から流れてくる海流によって運ばれた砂が堆積し、いったん海に向かって成長したものが内湾側へ大きく曲がる「鈎状砂嘴」となり、それが何段階にも連続した「複合鈎状砂嘴」になっている。野付湾内で枝のように派生している部分はかつての最先端で、それを残して新たに東へ成長を繰り返している。


■天橋立付近の長期にわたる海岸の変遷

◇地殻変動


・若狭湾周辺では地殻変動による長期的な陸地の上下動と、気候変動による短期的な海面変動が重なって起きている。
・若狭湾の東は柳ヶ瀬断層と甲楽城断層、西は山田断層があって、若狭湾の沈降地帯を囲っている。
・若狭湾全体では長期的に沈降し、リアス式海岸となっている。美浜や小浜では逆に隆起による海成段丘が分布している。
・これらの長期的地殻変動は数十万年単位の動きであり、1万年以内の天橋立形成に直接関係しない。

◇1万年以内の変遷

・1万8000年前をピークとする寒冷期には海面が100m以上下がり、若狭湾全体が陸地だった。
天橋立水深100m線 現在の水深100m線。縄文時代より前、少なくともこの位置までは陸地だった。水深140mとする考え方もある。

・その後6000年前をピークとする縄文海進までに海面は急速に上昇し現在より4mほど高くなり、海岸沿いの平地を水没させた。若狭湾に注ぐ川は多くが内陸に向かって深い入り江となった。
・天橋立はこの時期水没していた計算になり、水面下で堆積が進行しつつあったと考えられる。

・入り江は山から運ばれた土砂によって徐々に埋められていき、河口では干潟を形成した。
・河口に向かって進行する土砂堆積はダム建設の始まる近代まで続いていた。(野田川河口から8kmの蛭子山古墳の存在は、5世紀に阿蘇海からの入り江があって船が乗り付けていたことを想像させる)
・2000年前ころ、成長した天橋立が宮津湾と阿蘇海を隔ててからは、阿蘇海に注ぎ込んだ野田川が急速に流れを弱めるようになり、河口で三角州の成長が続いた。運搬されてきた土砂は三角州を広げることに使われ、阿蘇海の先にある天橋立まで土砂は届かなくなったと思われる。
(与謝野町役場付近などはこのころに陸地となった)

・雪舟が「天橋立図」を描いた16世紀初頭には、現在より短かった。
天橋立雪舟画


■天橋立はどのように形成されたか

◇従来の説明
・縄文海進のまだ始まらない約8000年前までは阿蘇海と宮津湾・栗田湾など、現在リアス海岸になっている若狭湾の大部分は陸地だった(上図)。
・その後縄文海進による急速な海面上昇で宮津湾と阿蘇海はひとつの湾を形成した。この時、海底に水中砂州が形成された。
・3000年前の寒冷期に海が後退したことで、海底にあった砂州が江尻から陸化した。
・有史以後、砂州はゆっくりと南へ延びていった。
・江戸時代から明治以後に南砂州が形成された。これは土地開発の増加で河川への土砂流れ込みが増加したことによる。

◇上の一般的説明への疑問
・武田一郎(2007):砂州は陸化した砂嘴が延びてできるものなので、水中にあったものが海面低下で出現するのは不自然。
・植村善博(2010):海面低下した3000年前からの寒冷期に砂礫供給が増加したはずである。近世後期の新田開発によっても砂礫供給は増加し、南砂州を形成したと思われる。


■有井広幸氏の説
◇要旨
・2200年前に発生した地震によって、世屋川中流域松尾付近に地滑りが発生し、その土砂が宮津湾へ流入して海底に溜まった。これがその後沿岸流によってゆっくりと供給され、砂州が成長するもととなった。
阿蘇海の汽水化は2200年前に急速に進んでいる。これが傍証と言える。

・天橋立を構成している砂は阿蘇海へ注ぐ河川でなく、宮津湾へ注いでいる河川からのものである(河口の堆積地形から)。
・江戸時代後半からの新田開発は表土を流出させるものではなかった。


有井氏の考え方は世屋川の地形にも整合し、かなり当を得ているように感じる。
通常地形形成を語ろうとすると日々進行する恒常的な作用に原因を求めがちであるが、一回の地震という突発的な事件に着目したのは慧眼と呼ぶべきだろう。
ただし不充分な点も残っている。


■砂州の縮小問題


天橋立では砂州が痩せていく現象が昭和初期から問題となり、昭和26年に堆砂堤(突堤)が設置された。これが遠くから眺めた様子から「天の串刺し」と揶揄されるように、景観を台無しにしている。
昭和61年からは砂を補うために「サンドバイパス」という砂を海流に乗せる手法も行われている。
縮小する原因は形成された原因と逆になるはずである。形成事情がいまだ判明していないままでは、試行錯誤している段階である。
対策が効果を上げているかどうかは、掲載した写真の通りである。

上に紹介した有井氏の論文でも、やせ細りの原因をはっきり指摘していない。
文意からは溜まっていた海底の土砂が2000年で少なくなったからとも類推できそうだが、明確に述べていない。Wikipediaなどではこの論文から「海流の変化」が原因と解釈しているが、具体的にどう海流が変化したのかには触れていないし、地形図を眺めても、大正・昭和に入ってから海流を変化させる原因として何が起きたのか見当がつかない。

痩せていくのは天橋立の宮津湾側
である。そこへ砂を運搬してきたのは丹後半島に沿って流れる沿岸流で、砂の主な供給元は有井氏論文にあるように世屋川・畑川だろう。
その川の上流に大型ダムはないが砂防堰堤が設置されているので、従来はこれが河川の土砂運搬量を減少させ、砂浜を細らせている原因であると、全国共通の問題にされてきた。
この堰堤の影響は小さいのだろうか。調べていないが堰堤建設時期は、砂州の退行が始まった大正から昭和初期に合致するのではなかろうか。

ポイントを整理しておく
・砂州の成長は2200年前の地震による砂の供給によるので、この供給が減ったことが関係しているかもしれない。
・「海流が変化した」という主張は具体的なイメージが不明なので、判断できない。
・川の上流に砂防堰堤が建設されたことも、やはり関係しているのではないか。


要するに砂州が縮小する原因は不明である。
現在採られている対策の有効性も怪しい。


■磯清水の不思議

天橋立磯清水
 井戸として使われてきた磯清水。今はポンプで水を汲み上げ、賞味できるようになっている。

「磯清水」は地下60cmから120cmの地下水で、砂州全般にわたって存在しクロマツを育てているとされる。海に囲まれているのに淡水で飲むこともできる。環境省認定名水百選。
もともと湧出していたのではなく井戸で汲み上げていた。現在はポンプを設置して、細い水を出している。渇水期で量は減っても涸れることはないという。

なぜ淡水があるのか、これまで十分な説明はなされていない。以下に勝手な推論を書いてみる。

・地表の砂層の下には、水を通しにくい粘土層があるものと推定できる。その上に水が滞留しているのであろう。
・陸地になる前は、宮津湾側と阿蘇海側からの両方の砂が混合して堆積していた。
・3000年ほど前、最初に半島状の陸地となった部分から、宮津湾側と阿蘇海側とでは別個に堆積するようになった。内湾である阿蘇海の側は水流が弱くなって粒子のごく細かい泥が堆積するようになり、粘土として不透水層となった。
・粘土層ができたあとで海面の上昇によって透水性の砂の層が表面を覆った。
・再び海面が下降し、砂層が陸地となり粘土層は表面から見えなくなった。

天橋立磯清水図解 天橋立の想像断面図。
阿蘇海側と宮津湾側では異なる堆積層になっているはずである。水を蓄えるためには粘土層が必ず存在する


帯水層ができるためにはこの図のように粘土層が凹地になっている必要がある。何度か海面が上昇下降する間に粘土層の一部が浸食される、あるいは陸化した時に水が流れて表面を浸食する、その後宮津湾側で砂層が新たに形成されるなど、複雑な経緯をたどっているように思われる。
正確な構造は数ヶ所でボーリング調査を行わないと判明しないだろう。

磯清水位置図 磯清水の位置 砂州の阿蘇海寄りにある


■クロマツの分布

◇不可解な報道

2013年4月、京都府立大学高原教授が土壌堆積物に含まれる花粉の分析からクロマツは3000年前から継続して存在しているという調査結果を発表した。
実は2月に同じ高原教授がほぼ同じ調査を行い、同じような報道がなされていた。
京都新聞サイトを見る限り、「続報」という形を採っていない上に、ふたつの報道で高原教授の述べたとされる説が矛盾していて、混乱させられた。

どちらもボーリング調査に基づき、クロマツが3000年前から途絶えることなく生育していることが解ったとしているのだが、人との関わりの部分が違う。

2月には白砂青松の景観が人の下草刈りによって縄文時代から維持されてきたと、高原教授が推論していように書かれていた。
4月には江尻地区(天橋立の付け根)でのボーリング調査の結果として、教授は「もし3000年前に天橋立があったなら、クロマツが分布していたと考えられる」というものだ。こちらでは人の関わりを考慮していない。
いったいこの報道はどうなっているのか。

一般にクロマツは直射光を必要とする陽樹のため、いずれ陰樹というタイプの樹木に置き換わるのが普通であり、植生遷移と言う。しかし人が下草を刈ったり枯葉の除去などをすれば陰樹に必要な土壌が形成されず遷移は進まなくなる。
4月にボーリング調査した江尻において、3000年間遷移が進まなかったというのが、4月の高原教授が出した調査結果だろう。こうも述べている「大波で枯葉などが取り除かれた可能性がある」

2月には遷移が進行しない理由を高原教授は人の関与だと、報道では伝えている。これを撤回したのだろうか?それともマスコミが誘導して言わせたのだろうか?

冷静に読めば、2月でも4月の調査でも判明したのはクロマツの継続的存在であって、人の関与を示す証拠は得られていないことが分かる。2月にどこをボーリング調査したのか不明だが、4月は天橋立でなく江尻でのボーリングであるから、教授のコメントのようにその時期に天橋立が存在したのかどうかも判断できないはずである。
「大波で~」のコメントは、自然現象で遷移が進まない可能性を示していて、科学的に至極普通の推論である。
とすると2月報道でなされた3000年前から人が関わってきたという主張は、白紙に戻されたとも読めてしまうのだ。

人が関与したという拡大解釈が報道されたのは、天橋立は3000年継続している文化的景観であるとして世界遺産登録を後押ししたい地元の意向に迎合したのではなかろうか。

◇天橋立における植生遷移

報道姿勢の問題は脇へ置き、植生遷移の点は自然観察の教材になりそうなので、少し触れておきたい。

森は数百年以上放置しておけばやがてブナやシイなどの陰樹が支配的になるのが普通である。その植生遷移が順調に進まず永くマツやクリなどの陽樹が継続しているのは、人の関与か、何らかの自然条件に原因がある。

天橋立は天然に任せておけば遷移が順調に進むはずの場所なのだろうか。
答えは明らかにノーだ。海抜1mしかなく、海水と汽水に囲まれた細長い土地で、海が荒れれば海水をかぶる。クロマツは痩せた土地に強く、少々海水を浴びても枯れないが、高原教授の言うように大波が一年に一日でも押し寄せれば枯葉は持ち去られ、陰樹が育つ肥沃な土壌は形成されない

上に書いた磯清水の元になっている帯水層がなければクロマツも生えないかもしれないくらい、天橋立は樹木の生育に厳しい土地だろう。
そのような特殊な条件が、陰樹への遷移を妨げ陽樹が継続している原因ではなかろうか。

むしろ人の関与としては伐採しなかったことが第一と言える。その理由は籠神社(このじんじゃ)などの神域として大切にされてきたことだろう。防風林や枯葉の燃料供給地としての意味はほとんどなかったと推測される。この場所は丹後半島の陰で季節風が弱く、燃料には針葉樹のマツよりも周辺に豊富なコナラなど広葉樹が使いやすいからである。
天橋立クロマツと遊歩道クロマツに囲まれる遊歩道。中間付近の様子


◆古代史舞台としての宮津

◇天橋立伝説
・鎌倉時代に編纂された『釈日本紀』には「丹後国風土記逸文」として天橋立の神話的な伝承が記され、それによればイザナギノミコトが天に通うため立てた梯子が、眠っている間に倒れてしまったものという。
この「倒れた」という表現を有井氏は大地震を示唆しているとする。地震の発生が2200年前というのが正しければ、震災を口承によって数百年の間伝えていったことも十分あり得ることだ。しかも地震の後で急速に成長したとすれば、それを天橋立が「出現した」と伝承しただろうとも氏は解釈している。信憑性が感じられる話だ。

紹介文によってはイザナギが天から地上へ通ったと、逆向きにも書かれている。或いは籠神社の伝承ではイザナギは天にあって地上の真名井神社に居る女神に会うために通っていたとも言う。真名井神社とは籠神社の500m奧にある神社である。

◇籠神社と伊勢神宮との関係
丹後の国一宮・籠神社は、「元伊勢」を名乗り、伊勢神宮が元々鎮座していた場所であるとしている。古代の丹後地方についてはまだまだ解らないことが多いが、弥生遺跡や大型古墳を見れば、倭国での重要な地位をしめた地域だったことはよく分かる。

国造りの神であるイザナギの伝説が天橋立に仮託されているのも籠神社の存在あってこそだろう。神社には神話時代の人物に始まる海部氏系図や前漢・後漢の青銅鏡が伝世され、これらは国宝に指定されている。
ちなみに宮津の「宮」とは籠神社を指しているという。
天橋立籠神社 丹後国一宮籠神社


■現在と将来の天橋立


現在の天橋立は、冒頭の紹介写真を見れば誰しも感じるように、もはや雪舟が描いたような景勝地ではない。石を並べた多数の堆砂堤はいかにも傷の縫い口にしか見えない。当地では世界遺産登録を目指しているが、賛同できない。
成因が上記のように地震という偶然の現象に因っているならば、将来やせ細って消滅するとしてもそれが自然の姿としてやむを得ないと考える。
しかし救いはある。

紹介した最近の研究によって、天橋立を形成した砂は長期間安定的に供給されたものでなく、大地震という突発事態でもたらされたものと判明しつつある。
一時的に誕生した姿を節理に反してでも保つとして、堆砂堤以外の優しい人工的手段を使って美観を維持することは可能なはずだ。

それは述べたように「サンドバイパス工法」と呼ばれて昭和60年代から実行されている。
この工法を採用することになったのも、堆砂堤という方法は効果がなく失敗だったと認めたのだろう。
(参考 http://www.pref.kyoto.jp/kowanji/documents/1204270523924.pdf)

沿岸流の通り道に砂を置いて、流れに運んでもらうのである。筆者は天橋立のやせ細りを最初に聞いたとき、単純に砂を海流の上流地点に置いていけば回復するだろうと想像した。その通りの方法がすでに採られていた。

これによって、京都府では「徐々に砂浜が回復している」としている。
しかしこれだけでは楽観できない。30年近く経過して「徐々に回復」とは遅すぎないか?それにご覧のように現状は、堤の前後の浜が海に突き出しているに過ぎない。
また逆に堆砂堤が直角に突きだしているために、浜に沿った海流が接近を阻まれ、堤のすぐ脇を除いて砂を陸地まで届かせられなくなっているようにも思える。
 天橋立堆砂堤

サンドバイパス工法を実施する前から堆砂堤は設置したままである。これで有効性を正しく判定できるのだろうかとの疑問も残る。

サンドバイパス工法の考え方には賛成できる。しかしさらなる研究や方法の工夫が必要なのではなかろうか。

筆者の感性では、自然の摂理で消滅していくものはそのまま消えても構わない。しかし多数派が人工的でも保存を望むのならば敢えて反対はしない。
ただし摂理に反する改変は容易に成功しないことをよく考えておくべきだ。自然はまだまだ人知の及ばない面が多いことを謙虚に弁えたうえで、さらなる調査研究によって科学的視点を深め、腰を据えて取り組んでいかなければならないだろう。


■最新訪問時期 2013年3月
■参考図書など
『日本の地形2北海道』『日本の地形6近畿・中国・四国』東大出版会
有井広幸「天橋立の形成過程について」京都府埋蔵文化財論集 
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/36arii.pdf
など



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