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宝永山(静岡):[富士山シリーズ2]富士山でもっとも新しい噴火

カテゴリー見出地形地質

宝永山代表
愛鷹山から見た初冬の富士山と宝永火口・宝永山


ーもくじー
◆基本情報(表)
■見学詳細 付帯施設 難読地名など
■宝永山の概要
■富士山の側火山分布
■宝永噴火の概要
◇注意事項:「火山灰」は細かな砂
■宝永山と火口を観察する
◇火口を埋めているもの
◇小石の色と「赤富士」
◇山体崩壊の壁面
■宝永火口の東西で、なぜ地形が違うのか?
◇地下にはどんな地形が隠れているのか
◆NHK番組「富士山・絶景の秘密」での説
◆御殿場口五合目にはなぜ植物が少ないのか
◆[付録]植生観察:地を這うカラマツ
■宝永噴火とこれからの富士山噴火



名称       
宝永山:ほうえいさん
(富士山として)
国指定特別名勝 富士箱根伊豆国立公園 世界遺産選定予定 
活火山指定 地質百選 百名山
所在地 静岡県御殿場市中畑


交通機関              
・JR新富士駅から富士急行バス2時間10分終点「新五合目」下車
・JR新三島駅から富士急行バス2時間5分終点「新五合目」下車
※混雑時間を含まず
マイカー・東名高速道路裾野ICから1時間10分 など
・新五合目駐車場500台無料
・夏期はマイカー規制あり、富士山スカイラインの水ヶ塚駐車場に駐車(有料)、新五合目までシャトルバスまたはタクシー利用となる。駐車1000円+バス往復1300円(2012年)
・2013年は7月12日から9月1日まで52日間を規制予定
・新五合目までの登山区間は11月下旬から4月下旬まで冬期通行止め。
・御殿場ー富士宮の富士山スカイラインは通年利用可能(冬期は積雪・凍結用装備必須)
・規制期間以外でも混雑あり、路上駐車厳禁
問合わせ◇道路状況について
[静岡県富士土木事務所]
0545-65-2237
[静岡県・富士山スカイライン交通情報]
http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-840/skylinedourojyouhou.html

■見学詳細
※登山者・観光客の急増により、シーズンの道路混雑が激しいことに注意
※2013年夏からバス、マイカーともに富士山入山料の試験導入が計画されている

・宝永山・宝永火口を見学するには富士山スカイライン新五合目(標高2400m)からの往復となる。
・徒歩片道1時間 宝永山頂上までは加算50分、上り下り多い。
・登山道なので縁の高い歩きやすい靴が必要。宝永山頂上までは砂に深く潜るため、スパッツ使用を推奨
・途中に山小屋「六合目雲海荘」「宝永山荘」が期間営業している。
・トイレは有料チップ制

・宝永山頂上付近でガスに巻かれると迷う。
・気象変化が激しく落石の危険もある。標高は2500mあり登山領域であることに十分留意すること。
・第二・第三火口には表富士周遊道路・水ヶ塚の近くから延びる登山道があるが、展望の利かない樹林帯のため迷いやすい。第一火口からの往復が無難。

※宝永山は東南斜面にあるため、富士登山でもっとも利用者の多い中央自動車道・富士山スバルライン・吉田口登山道からはまったく見えない。

■付帯施設

新五合目に売店・食堂あり 
富士山の静岡県側で地質面を紹介する良い施設は見あたらない。

◇難読地名など
御殿場:ごてんば 裾野:すその 西湖:さいこ 精進湖:しょうじこ 
北鑵子山:きたかんすやま 大室山:おおむろやま 片蓋山:かたぶたやま 愛鷹山:あしたかやま

側火山:そくかざん 小御岳:こみたけ 貞観噴火:じょうがんふんか 溶岩原:ようがんげん 

宝永山Googleearth

■宝永山の概要


宝永山は江戸時代の1707年、富士山中腹から噴火したことにより火口の側壁が突き出した地形。独立した火山ではなく富士火山の一部とみなされる。

富士山では北西から南東のラインに沿って多くの火口が並び、これらを地学用語で「側火山」と呼ぶ。側火山それぞれの活動はいずれも一回の噴火で終わっている。
100を数える側火山の中でもっとも新しく大きいのが宝永火口であり、爆発の勢いで捲れ上がった部分が火口縁を形成し見る角度によって山の形になる場所が宝永山と呼ばれている。頂上地形の実際はほぼ水平な尾根で、末端にある2693mの最高地点を山頂としている。

宝永火口は上から第一、第二、第三と3つが並び、噴火の順番は形状から第二、第三、第一だったとされている。
第一火口がもっとも大きく、火口直径約1200m、火口底の標高は2420mで宝永山頂上と270mの高度差がある。先に噴火していた第二・第三火口は第一火口からの噴出物によってかなり埋められ、爆発時の形が分かりにくい。
なお第二・第三火口の右に隣接する窪地状の地形は火口ではない(後述)。

この記事では散策の容易な第一火口に注目する。


■富士山の側火山分布
 宝永山側火山分布
主な側火山分布図。側火山の数は数え方によって70から100まで幅がある。この図のように北西から南東のライン上に集まっているとされてきたが、最近になって北東(富士吉田側)にも存在すると言われ始めた。

小御岳火山・古富士火山・新富士火山という3段階の成長史を経てきた富士山は1万年前頃にはほぼ現在の姿になっていた。山頂からの噴火活動は約3000年前までに終わり、その後は側火山での活動に移る。
9世紀の貞観噴火では西北の長尾山から大規模に流れた溶岩によって「せの海」という大きな湖が西湖精進湖に分断され、また広がった溶岩原が青木ヶ原となった。
その後宝永噴火までの約800年間は記録があいまいになるが、伝承や地形に残っている側火山の様子から、数回の小規模な噴火があったと推定されている。
宝永噴火から現在までの300年間に噴火と呼べる活動はないが、山頂付近に「荒巻」と呼ばれる高温の蒸気を噴き出す場所があり、昭和中期まで続いていたという。頂上にその痕跡が残っている。

■宝永噴火の概要
(ここでは大まかな紹介に留める。詳細はWikipediaなどを参照)

・1707(宝永4年)年10月、東海地方の沖でM8.6(8.7とも言う)の宝永地震が発生、倒壊や津波で大きな被害が出た。この地震が富士山の噴火に影響したことは確実視されている。
・この地震の後、富士山付近では群発地震が続き、次第に大きくなった。
・翌11月23日(旧暦)、大きな地震に続いて噴火が始まり、黒煙を噴き上げ周辺地域に軽石を降らせた。飛来した軽石は落下後も高温のガスを噴き出しつつ火事を発生させた。
・最初数日間の噴火が激しく、その後しばらく落ち着き、再び活発化して赤い固まり(火山弾)の噴出が観察された後、16日後の12月8日に終了した。
・溶岩は流れていない。噴火様式としては火山灰や軽石を大量に噴出するタイプで、「プリニー式噴火」と分類される。

・江戸には最初は灰色の火山灰、その後黒い火山灰が降り、2~3cmほど積もった。
・富士山麓の御殿場では噴火位置に近いうえに風下に当たり、大量の降下物によって多くの集落が壊滅的被害を受けた。
・噴火の収まった後も積もった火山灰が降雨によって泥流となり、度々の洪水被害をもたらした。
・多数出たはずの犠牲者数は記録されていない。


◇注意事項:「火山灰」は細かな砂

私たちが普通にイメージする「灰」は、紙や枯葉が燃え尽きて残る灰白色でサラサラのものではないだろうか。
これに対して「火山灰」は、ザラザラした「粒の細かい砂」と言うべきもので、実は成分もまったく異なっている。

地質学では粒の大きさによって呼び方が定義されていて、火山灰は2mm以下の粒子を指し、2mmから64mmまでを「火山礫(れき)」とする。
1~2mmの粒は一般の感覚では「砂」のはずだが「灰」と扱い、2mm以上になると6㎝の小石までが一括して「火山礫」と称される(下で述べるスコリアも火山礫)。この分類呼称が地質学・火山学で標準とされ、専門家が一般向きに説明するときにも使われている。
地質学のうち「堆積学」という分野ではこの火山灰の積もったものを3つに細分し、大きい順に「火山砂」「火山シルト」「火山粘土」と呼び分けることがあり、むしろこの呼称のほうが一般向きに適しているように思えるのだが、普及していない。

火山の本で「火山灰」と書かれているものは、サラサラの白い灰でなくザラザラの細かい砂であることを承知しておいてほしい。

宝永山・桜島の火山灰 鹿児島・桜島の道路に積もった火山灰。一般の感覚では砂に見えるが、これが典型的な「火山灰」


■宝永山と火口を観察する
宝永山登山道1 左奧が宝永山の山頂、右に降りると第一火口がある。山頂から下山する途中に撮影。中央に登山者。

◇火口を埋めているもの


・宝永山の山頂付近は弧を描き水平に続く痩せ尾根に過ぎない。弧の形から、最大の噴火中心は現在の火口内で一番窪んでいる位置よりも富士山山頂寄りだったことが推定できる。今は落下物の斜面に隠れている。
・火口側の斜面角度は約28度。一方、富士山頂上方向から火口底へ向かう急斜面は上部を除いて、約33度の斜度で直線的になっている。これは安息角という、崩落物が積もってできた斜面の角度である。
実際の火口底を覆っているのはほとんどが斜面と同じく、細かい砂礫と1~2mの岩で、中間サイズが少ない。これは細かいものが噴火で噴き出したもの、大きいものは以前から地中にあって上部から転がってきたものと、出自が2系統だからだろう。
画像にはないが火山弾など空中で溶岩の固まった岩も分布するというのは、噴火の最後に赤熱したものが飛んでいたという目撃情報と一致する。

◇小石の色と「赤富士」


宝永山火口底 第一火口の中心部

この写真で地面を覆っている小石は赤く、大きな岩は灰色をしている。

これら指先程度の小石をスコリアと呼び、富士山では細かい火山灰や溶岩とも重なり合って山全体に層を成している。
宝永噴火のように斜面がえぐれると層構造が露出し、断面から色々なタイプの石や岩が崩れ落ちてくる。
灰色の岩は噴火前から固まっていた溶岩である。空中に舞い上がることのなかった大きな岩があとになって順次砕けつつ落下してきたものであろう。その供給源は上部に見えている岩脈と思われる(後述)。

宝永火口の岩と人

さて、細かいスコリアが赤いのは熱いうちに鉄分が酸化したからで、大きな岩が赤くないのはひとつには酸素の届かない地中で冷え固まったからである。もうひとつの理由はこの岩に鉄分が少ないためと推測する。
同じ火山でも赤いスコリアと黒いスコリアが両方見られることは普通であり、よく酸化したものは赤く、不充分なものは黒くなる。この分かれる要因は幾つもあり、温度、鉄の含有率、降り積もる早さによって左右されると思われる。富士山のスコリアすべてが赤いわけではない。

宝永山スコリア丘 第一火口の凹地

この写真で中央に盛り上がっているのは、「スコリア丘」と呼ばれる地形で、このすぐ脇でスコリアを噴き上げる噴火があったことを示す。形が整っていないのは、そのあとの爆発で壊されたからと考えられ、これが宝永噴火の一番最後の噴火だったと思われる。すぐ右で平坦に見えている部分は最後に残った窪地がしばらくの間池になり、細かい砂礫に埋められたものだろう。

下の写真のように火口壁の地層断面では赤い部分と黒や灰色の部分とが層になっている。
宝永噴火のように数日間にまとまった噴出物があった場合は次々と積もっていくので、空気に触れている時間が短く、酸化はあまり進まない。
赤い地層はもう少し時間をかけながら積もっていったものと考えられる。同種のスコリアを吹き上げながらも数週間や数ヶ月をかけて噴火していれば、表面から赤く酸化し、その上へまた降り積もって赤くなることを繰り返し、赤い層が厚みを増すことになる。
しかし全国の火山でもそのような赤く分厚いスコリア層は少なく、そのタイプの噴火は余りないようである。十分に高熱であっても酸化は進むが、その場合は互いにくっついてしまう(溶結)ので、細かいスコリアはあまり生成されない。

スコリア丘の写真でも黒っぽい線のように見える丘の断面は赤くない。このスコリア丘の表層だけが特に赤くなっているようである。

もう一点、赤いのが鉄分の酸化であるからには、マグマに鉄の豊富な火山は、赤くなりやすいはずである。
現在の日本列島では富士山と伊豆諸島だけが玄武岩マグマで活動していて、これはもともとマグネシウムの多いマグマである。一方大部分の火山では安山岩マグマという、鉄やマグネシウムを喪失した灰色の岩が支配的となっている。

浮世絵に描かれた「赤富士」は朝日に染まった様子と言われるが、朝夕でなくても、富士山は国内で特異的に赤いのである。

◇崩壊の壁面


火口壁の上部では山体崩壊した様が明瞭である。上部の急斜面には崩れかけた噴出物地層の断面と、屏風のように立ったギザギザしたものが見られ、これが岩脈である。高い場所で5mはありそうな脈が多数走っている。方向は写真の手前から奧に向かい、斜面の最大傾斜線に沿い、つまり側火山の配列する方向に延びている。
火口底に転がっている2mを越すような岩はここから崩れてきたものであろう。

宝永火口の岩脈

岩脈とは地中で通り道を充填したマグマがそのまま固まったもので、軟らかい回りが崩れ落ちたことで浮き彫りのように姿を現した。
活動中の火山でマグマがどこを通っているのか、通常はほとんど分からない。ここではその通路をマグマ自体が化石として残してくれたのである。岩脈自体は国内でさほど珍しいものではないが、これだけ多数が露出しているのは滅多になく、注目されても良いはずなのに何故か一般に紹介されることがない。

そのマグマはもう少し勢いがあれば地表に噴き出し、溶岩を流したはずだった。
その噴火寸前だったのがどの時期なのかは、地層の重なった時期から推定できるはずである。岩脈は液体として流れてきたものなので、当然地層の重なりより後に上ってきている。地層を形成したのは1万年前以後の新富士火山と呼ばれる時期になるので、それより新しい。
なおかつ、宝永噴火にはすでに固まっていたことになるので、頂上からの噴火が続いていた1万年ー5000年前ころの可能性が高く、下で触れる三島溶岩流の発生源かもしれない。

これがいつ固結したのか調べれば、山頂噴火の終焉と側火山の活発化の関係を知る好材料となるだろう。

なおこの岩脈への道はなく落石の危険が高いので、接近しようと踏み込んではならない。

■宝永火口の東西で、なぜ地形が違うのか?

火口の東には斜面から突きだした宝永山があるが、新五合目に向かう西側にはそのような出っ張りがない。なぜ非対称になったのだろう?
 
(以下筆者の推定)
火山の爆発が真上でなく斜面に応じて傾くことはありそうだが、富士山のようにきれいな円錐形の山で左右に傾くことは不自然である。

ここでもし、斜面が不均質に盛り上がっていたり、へこんでいたり、大きな岩体が乗っていたら非対称な地形ができることもありそうに思える。
この宝永火口が非対称になっていることを説明する文献を筆者は発見できなかった。ヒントになりそうな材料が幾つかあっただけなので、そこから勝手に想像するしかない。

この記事の最初のほうで、ほぼ定説になっていることとして「爆発の勢いで捲れ上がった部分が火口縁を形成したもの」と書いた。この東側だけが捲れ上がった事実に鍵がありそうだ。

「捲れ上がる」のはバラバラでないひと固まりがあったということで、それが噴火の勢いで横になっていた姿勢から立ち上がった、ということだ。
そのようなまとまった固まりを作るのは、溶岩しかあり得ない。この高さで溶岩が流れたとすれば、8000年前までの山頂付近から流れた「旧期溶岩」であり、1万4000年前(1万年前とも8500年前とも)とされる有名な「三島溶岩流」が残されている。
(三島溶岩流については、本ブログ「猿橋溶岩」でも触れている)

宝永山三島溶岩流

その後の山頂からの活動は溶岩でなく軽石や火山灰を降らせる活動に変わり、溶岩流を覆い隠している。
三島溶岩流の正確な噴出位置は分かっていないが、流れた位置は判明していて、山頂付近から愛鷹山(あしたかやま)の東山麓を回って三島市街へ届き、楽寿園などにその姿を残している。
ちょど宝永山の位置を通過しているはずなのである。
その溶岩が斜面で固まり、その上を後のスコリアや火山灰が覆って隠したまま数千年が過ぎ、宝永噴火で動かされたのではなかろうか。

宝永山の頂上は、先端が急に切れ落ちている。この崖を観察すれば溶岩の固まりが見えるかもしれない。それが三島溶岩と一致すれば、この仮説は信憑性を増す。
筆者はまだここに接近したことがなく、これ以上のことは書けないのが残念である。書籍によれば専門家の間でもこの崖に「古富士火山の噴出物が露出している可能性」が言われている。
(「フィールドガイド日本の火山」1998)

◇地下にはどんな地形が隠れているのか


冒頭の代表写真を拡大して下に示した。
第三火口の右にある特徴的な地形はなぜできたのだろうか?窪んでいても誰もここが火口だとは言っていない。

3つある宝永火口のうち、最上部で大きく開いている第一火口は原型を残し理解しやすい。
注意しなければならないのは第二・第三火口で、自らの噴火が終わった後第一火口からの噴出物で分厚く覆われてしまったために、爆発時の形状が解りにくくなっている。

(以下筆者推定)
尾根の形がはっきり浮き立っている盛り上がりは、右側斜面が急角度になっていることから、スコリア層の下に固い板状の岩盤が傾いて隠れているような気がしている。宝永山から一体として続いていた岩が、第三火口の噴火で捲れ上がったのではないだろうか。そして宝永山と繋がっていた少し上の部分はそれより先に第二火口での噴火によって吹き飛ばされたのではないか。

地形観察から噴火順序が第二・第三・第一だったとされている。残された文書記録からは、どの火口からの噴火が激しかったのかは分からない。現在の地形は第一火口が非常に大きくなっているが、第二や第三も激しい爆発を起こして当初は数倍規模の窪地を作っていたという可能性は否定できない。

現在の地形は最後の第一火口から大量のスコリアや岩が降り積り、崩れ落ちてきて定まったものなので、隠された地下の様子を正しく想像することは噴火の実態を知る大事な鍵となる。
右の盛り上がりの左下で狭い谷のようになっている部分などは、地形が安定した後、水が流れて作られた谷だろう。
また地形図やGooglEearth画像からは第二火口・第三火口とも東側の半分を埋められてしまったように見えるが、はっきりとは分からない。

この複雑な地形形成をうまく説明できれば三島溶岩流説の正否もはっきりしそうだ。
今後の課題にしておきたい。
宝永山拡大写真記入付

宝永山25000地形図



◆NHK番組「富士山・絶景の秘密」での説

この番組内で、1万5000年前に活動を終えた古富士火山が宝永山付近にあったという説が紹介されていた。
従来の考え方は、古富士火山も現在の新富士火山と同じ位置に中心があり、新富士火山の噴出物がちょうどすっぽりと古富士火山を覆っているというものだった。

もしこの新説が正しければ、宝永噴火で捲れ上がったのは古富士火山表面の一部で、1万5000年以上前にその頂上火口から流していた溶岩流だということになる。
しかしこの説には幾つか疑問がある。

一番の疑問は、火山体の成長である。
宝永山と新富士火山の中心である現在の頂上火口とは、水平距離で2500m離れている。仮説に従って2500mずれた位置で新富士火山が誕生したとすれば山の中腹斜度から考えて標高1800m前後から成長を始めなければならず、現在見る山を形成するために膨大な噴出が必要とされ、活動の始まったとされる1万3000年前(この数値は早めに考えての値)以後の期間にそれが果たして可能なのか疑問である。

ここで新富士火山が成長する「期間」は、1万3000年もない。三島溶岩流は早くて1万4000年、遅く見て8500年前に流下しているから、その噴出口はそれまでに宝永山付近に残っていた古富士火山を十分に上回っていなければ古富士火山に遮られて溶岩が三島へ届かないはずである。すると「期間」はほとんどゼロか、1万3000から8500を引いた、わずか4500年間になってしまう。その時間で約2000m高くなることがあり得るのだろうか。
宝永山断面図
  もし宝永山付近に古富士火山があったと仮定すると、その後成長した新富士火山はその山体の大部分を4500年以内で作ったことになるので、現実的でないように思われる。

テレビ番組では詳しい説明がなく断定できないが、古富士火山が宝永山付近にあったとする仮説はにわかには受け容れ難い。


◆御殿場口五合目はなぜ植物が少ないのか
御殿場口登山道
御殿場口五合目の上部から山頂方向を見る。左寄りが宝永山。道のように見えているのは資材運搬用のブルドーザー道。地面に手前から奧へ筋ができているのは大雨の流水が作ったものであろう。

時間があれば御殿場口五合目にも寄ってみるとよい。
ここには広い駐車場があるのにあまり訪問者はなく、観光施設も乏しい。かつてはスキー場があって、閉鎖後もしばらくリフトの支柱が残されていた。広い斜面では雪解けによる泥流災害を起こしたことがある。

新五合目が標高2400mで森林限界なのに対して、御殿場口は標高1400mしかないのに樹木が生えず展望が開けている。これは宝永噴火で枯死したからである。300年が経過してもほとんど回復していない。

広い緩斜面を宝永噴火によるスコリアが埋めているために、頂上への登山道は「砂走り」となって、登りには苦労する。筆者はここから4回ほど登山した。
ここでは「富士登山駅伝」が毎年行われ下りを転びながら走るランナーの姿がテレビ中継されたり、また荒涼とした風景を利用してロケもよく行われる。
黒澤明の『乱』では再現した城を炎上させ、仲代達也演じる気のふれた殿様の彷徨う場面が撮影された。

◆[付録]植生観察:地を這うカラマツ
宝永山のカラマツ

新五合目と宝永火口を結ぶ登山道の途中に、高さ1m程度で横に成長しているカラマツ群が分布している。もちろん高山植物の「ハイマツ」とは違い、秋に黄色に染まったのち落葉するカラマツである。
まっすぐ上に延びるはずのカラマツが這うようになったのは冬の強風のせいである。同じようなカラマツは日本アルプスなど高い山でよく見かける。分類上は別種にならないようであるが、この株を普通の山地へ移植したら真上へ延びるようになるのか、実験してみたいものだ。


■宝永噴火とこれからの富士山噴火

最近は自然災害に関心が向いた影響で、富士山の噴火までがあれこれと取り沙汰されている。
しかし残念ながら多くのメディアに載っている記事は耳目を惹かんがためにセンセーショナルな表現に傾くばかりで、科学的視点を欠いている。
以下に、冷静に直視した事実を箇条書きにしてみる。

・富士山はまだ活動中であり、将来必ず噴火する。
・いつ噴火するのか、数年も前から予測することは現在の技術ではできない。

・現在の観測システムは万全であり、噴火の前に前兆現象を捉えられる。
・噴火の予報は早ければ数ヶ月前から、接近すれば数日前に警報を出すことができる。

・山頂から噴火する可能性は低い。宝永山のような側火山が予想される。
・宝永噴火で大地震の直後に噴火が起きたといって、次回の噴火前に地震があるとは言えない。また地震があれば噴火するとも言えない。この関係はほとんど未解明である。

・避難体制が整備されていれば、落ち着いて避難する時間は十分確保できる。
・予報が出ても半分程度は外れると考えておく。半分は当たる。外れても非難するべきではない。


宝永噴火は噴火史の中で規模の大きなものだった。これより小規模な噴火であればかなりの対処ができるだろう。
もし不幸にして宝永噴火と同規模の噴火が起きれば、大混乱は避けられない。混乱を防ぐ体制を予め用意しておくことはコスト的に困難で、被害数兆円に上ったとしても諦めたほうがよい。
人命を救うことは十分可能である。財産被害、経済被害は軽減できれば幸い、日本に住んでいる以上仕方がないと受け容れるべきである。

宝永噴火は、現在の私たちが噴火に備える非常に良い教材となっている。先人の犠牲の上に遺された教訓を十分に生かし、私たちはこの国土と付き合っていかなければならない。

■最新訪問時期
2011年9月

■参考図書:
「フィールドガイド日本の火山 関東・甲信越の火山Ⅱ」(築地書館1998年)
「新版地学教育シリーズ2 地震と火山」東海大学出版会
「富士火山1707年噴火(宝永噴火)についての最近の研究成果」宮地直道・小山真人
http://www.yies.pref.yamanashi.jp/fujikazan/web/P339-348.pdf
など

◇本ブログ関連記事
「富士山シリーズ・猿橋溶岩」


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