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寝覚ノ床(長野):木曽川が削りだした巨岩の淵

カテゴリー見出地形地質

■名所としての概要

「寝覚ノ床」は木曽川の河床に露出する巨岩の集まりで、古くから中山道木曽路の名所として文人・歌人が作品を残してきた。四角く割れた花崗岩の巨岩上には浦島堂と呼ばれる小さな祠があり、名称の由来となった浦島太郎伝説を伝えている。JR中央線の車窓からも眺められる。
寝覚ノ床代表
下流側から見た寝覚ノ床の中心部。人型は大きさを示すために合成したもの

名称寝覚ノ床 : ねざめのとこ
国指定史跡名勝天然記念物 中央アルプス県立公園
所在地長野県木曽郡上松町小川
交通機関JR中央線上松駅から南へ2km、徒歩30分
JR中央線木曽福島駅から南へ12km、車で20分
マイカー中央自動車道塩尻ICから国道19号線で南へ54km
中央自動車道中津川ICから国道19号線で北へ49km
国道脇に有料駐車場あり 寝覚ノ床へ徒歩200m
国道から外れて町営無料駐車場あり 徒歩800m
(国道の登坂車線途中から入る)
問合わせ上松町観光協会 0264-52-1133

寝覚ノ床広域地形図

■見学詳細
見学自由。遊歩道あり。
見学は木曽川の左岸のみ、右岸へは渡れない。
説明板の建つ中心部から下流800mに「裏寝覚」あり。
※2012年6月に浦島堂への遊歩道は通行止め解除。
※2013年春時点で裏寝覚への遊歩道は崩落のため通行止め。

■付帯施設
・寝覚ノ床を紹介する施設は特にない。
・「寝覚ノ床美術公園」 : 日時計、彫刻などのオブジェが展示されている。営業施設は特になく、普段は無人。この駐車場とトイレは町営・無料として寝覚ノ床・裏寝覚見学に利用できる。寝覚ノ床中心部まで徒歩800m。

◇難読地名
上松町:あげまつまち 御嶽山:おんたけさん 宝剣岳:ほうけんたけ
◇地学用語
方状節理:せつり 河岸段丘:かがんだんきゅう 河成段丘:かせいだんきゅう 扇状地:せんじょうち 
(河岸段丘と河成段丘はほぼ同じ意味)

■地質の概要

岩石に生じる規則的な割れ目を節理と呼び、寝覚ノ床は「方状節理」の見本とされる。方状とは直方体、つまり直角に割れた四角いブロックで、花崗岩に特有の割れ方である。
一般向きの説明では「岩盤を侵食してできた自然の彫刻」と言っているが、侵食されたのは周囲の弱い部分で、寝覚ノ床を構成する巨岩は侵食されずに残ったものである。
花崗岩という岩はマグマが地中深くでゆっくり固まったものであり、周辺の広い範囲が地殻変動で隆起する過程で上部を覆っていた岩が侵食され、露出した。
木曽山脈は大部分が花崗岩で成り立ち、最近の100万年で(地質学的に)急速な隆起をしている。もっとも高い木曽駒ヶ岳の頂上付近には花崗岩に接触した古い堆積岩が残っていて、隆起の中心部であると同時に大きな花崗岩体の頭部だったことを示唆している。
木曽谷でもかつては同じ花崗岩が分厚く重なっていたはずであり、それが侵食の集中によって消え去ったため現在の低い谷となった。

寝覚ノ床パノラマ
パノラマで見る寝覚ノ床中心部。巨岩は木曽川が大きく曲がる場所に集まっている

地形地質観察としては、なぜ寝覚ノ床では巨岩が残り、狭くなった隙間を縫うように木曽川が流れることになったのかを考察してみたい

なお、ほとんど見学者の来ない裏寝覚では四角い巨岩は少なく、複雑な節理と無数のポットホールが特徴である。これと同様の場所として、5km上流(北)に木曽の桟(かけはし)という名所もある。

寝覚ノ床裏寝覚
裏寝覚の様子。表面に多数見える凹みはポットホール。

木曽の桟
長野県史跡「木曽の桟跡」(下流側から)
江戸時代には右の崖に石積みを施し桟道を渡していた。今はコンクリートで覆って国道19号線が走っている。


◆ポットホールとは

流れてきた岩が亀裂などに引っかかってその場でゴロゴロと動き続け、長い時間をかけて穴を掘ったもの。その岩は削れて小さくなっていくので、やがて小石となって外へ飛びだしてしまい、残っていることはまずない。


■地形地質の考察:どうしてこの地形ができたのか

周辺地形の実際をGoogleEarthで見てみよう
寝覚ノ床GE基本
南側上空からの写真画像。右が木曽山脈側で、木曽川は画面上から下へ流れる。
川の左岸に上松町の市街地が展開している
のは、下記の理由による。

まずヒントとなりそうなポイントを挙げてみる。

・巨岩は運ばれてきたものではなく、もともとその地面にあったものである。
・寝覚ノ床の水面標高は660m、国道19号線やJR中央線の通る左岸は約710mと、50m差の河岸段丘(=河成段丘)になっている。この段丘は上流の上松町から寝覚ノ床まで約2km続いている。
上松町は平坦な段丘を利用して町が建設されている。
・ただし800m下流の裏寝覚付近(写真でのすぐ右)では平坦でなく、段丘地形の連続とは言えない。
・寝覚ノ床中心部は木曽川が(上流から見て)大きく右へ屈曲するポイントになっている。
・裏寝覚は反対に左へ緩く曲がっている。

また、次の事実も踏まえておきたい。

・約60km続く木曽谷の中で河床に見える岩はほとんどが花崗岩であるが、寝覚ノ床のような四角く巨大な岩はほかに見られない。
・木曽谷の東に走る木曽山脈(中央アルプス)は標高が2900mに達し、ほぼ全山が花崗岩でできた一連の山脈である。
・木曽谷の西には山脈と呼べる山並みはなく、1500~2000mの山地が広がる奧に火山である3000mを越える御嶽山と乗鞍岳が聳えている。その火山を除くと、木曽谷に近い山地の岩はやはり花崗岩でできている。

つまり寝覚ノ床の付近の岩石は、木曽川に露出しているのと同じ花崗岩が両側の山地を広く構成している。表面は樹木に覆われてよく見えないが、木曽川の河床がこの白い花崗岩で埋め尽くされていることからもこのことは明らかである。

寝覚ノ床GE段丘
ひとつ上の写真から、中央部の切り出し。上松町の乗っている河岸段丘(河成段丘)の地形

ではその広い花崗岩地帯で、寝覚ノ床ではなぜ特異な地形になっているのだろうか?

もっと大きなヒントになりそうなポイントを挙げる。

・寝覚ノ床では、木曽川全体でも特に水の流れる幅が狭くなっている。これは上流のダムによって水量が減ったということでなく、自然地形として両岸の斜面が迫り、幅が狭くなっているのである。
・地図で寝覚ノ床から東(右)へ目を移してみると、ほぼ真東に木曽駒ヶ岳や宝剣岳など、木曽山脈でもっとも高い部分が聳えている。
・寝覚ノ床の段丘は、上松町市街までの約2kmの間、高度を増さずにほぼ平坦である。
・この付近での河岸段丘は木曽川が左右に屈曲を繰り返しているにもかかわらず、左岸(木曽山脈側)だけにあって、右岸にはない。


★推論 (専門家の明確な答えを発見できなかったため、以下は筆者の考えです)

(時系列に述べる)
・この場所は急速に隆起する木曽山脈から継続的に多量の土砂が削り出されてきた。ある時期に特に大規模な土石流が集中し、木曽川本流の渓谷が埋められた。
・その埋積イベントが起きる前には木曽川は現在より数百メートル東、現在の段丘の下を流れていた。

・土砂の埋積によって、川は西へ押しやられ、さらに堰き止められた。
天然ダムの出現した位置は左岸の地形から、裏寝覚付近と考えられる。また土石流は滑川から流れ下ってきたと推定される。
・堰き止めによって、上流へかけて幅200-500m、長さ2500mの細長い湖が出現した。
・湖が存在する期間に、そこへ木曽山脈から流れ込む滑川、中沢、十王沢川では谷の堆積が進行し、現在集落が営まれている緩斜面が形成された。

・湖はやがて完全に埋まり、西へ押しやられて細くなったために浸食力を強めた木曽川が今度は河床を下へ掘り下げてゆき、現在の流路が定まった。
(段丘の高さが寝覚ノ床のすぐ近くと上流2kmの上松町市街地とで同じであることは、天然ダムが決壊することなく湖が完全に埋まったことを示している)
・木曽川は流路が細いまま固定されたことによって流速は速くなり、強い浸食が進行した。
・浸食によって、決壊することのなかった天然ダムの一部を構成していた土砂や脆弱な岩は削られ、地中に隠れていた強固な岩石が初めて露出した(寝覚ノ床の誕生)
(裏寝覚めの木曽山脈側が平坦でなく起伏を残していることは、ここが土石流の溜まりであり天然ダムの堤だったことを示す)
・この強固な岩石を迂回するため木曽川は屈曲することになった。

寝覚ノ床GE天然ダム

・花崗岩は本来頑丈な岩で、川の浸食には長期間耐える。ただし節理と呼ぶ元々の割れ目ができていればそこから崩壊し、細かい岩は流されていく。
・寝覚ノ床はそうした節理が少なかったために容易に浸食されず、木曽川は狭い割れ目をぬうように今も流れている。

・また頑丈な花崗岩といえども露出したのちは表面が風化し、角が丸くなっていくものである。それに反して寝覚ノ床で角張った形状をしているのは露出してからまだ時間が経っていないことを示している。
・このことから、上に書いた湖の形成時期は地質学的にはごく新しい時期と推定され、実際には木曽山脈からの土砂供給が急増した最終氷期後の8000-6000年前頃が有力視できる。

[まとめ]
・寝覚ノ床の巨岩は、地中に隠れていたものが最近になって表面が侵食されたことで露出した。
・侵食が起きた原因は、木曽山脈からの土石流によって木曽川の位置が変化したことである。

最初に問題として提示した巨岩が浸食されず残っている理由は、このように露出した時期が新しいという答で、ほぼ説明できると思っている。もちろん、これはあくまで筆者の見解である。今後専門家の意見を伺う機会があればここに追記・修正していきたい。


◆[付録] 木曽山脈での東西地形差

谷が広い平地に出る場所では、運ばれてきた土砂が扇状に広がる扇状地という地形のできることが普通である。
・東の伊那谷には扇状地地形が明瞭だが、西の木曽谷にはほとんど見られない。これは木曽谷が狭いためであり、扇状地を作るはずの土石流が流れてきても広い土地へ広がることができず谷に残ることと、木曽川によって末端が削られてはっきりした形にならないからである。
・これによって木曽川に近い谷では土石流に埋まった細長い緩斜面を利用して、谷の内部に集落が営まれている(上のGoogleEarth空撮画像も参照)。
・伊那谷ではそのような狭い谷を埋めた緩斜面は少なく、集落も谷ではなく広い天竜川近くにできている。
下に少々見にくいが木曽駒ヶ岳の西と東の地形図を2枚提示しておく。

木曽谷地形図 木曽谷・寝覚ノ床付近5万分1地形図

伊那谷地形図 伊那谷・伊那市から宮田村付近5万分1地形図


◆[付録] これからの寝覚ノ床

寝覚ノ床の巨岩の上面は、ダムの造られる以前にはしばしば増水した水に没することがあったために樹木が生えなかった。その頃は平穏時でも水量が多く、現在より水位が高かったはずである。もし高い位置で水位が長期間一定していれば、岩の表面にその位置を刻み残しただろう。これといった痕跡がないのは絶えず変動していたことを示す。
今では上流のダムによって、大雨で増水しても岩の上面を洗うことはないという。

とすると、岩の上部は運ばれてくる礫や砂に削られることがもう起きないということになる。岩の側面下部だけが削られることになって、上部の張りだした形状になっていくのだろうか。
少なくともポットホールは石が激流にゴロゴロ踊ることはなくなって、今後は発達しないと思われる。

寝覚ノ床・塔のへつり
水流の浸食で崖の側面がへこんだ例:福島県の「塔のへつり」。
ここでは凝灰岩という軟らかい岩のため水面位置がよく削られ、現在では水量低下でさらに低い位置に浸食が進行している。


■[付録] 浦島太郎伝承

亀の手引きで竜宮城を訪れたのち故郷に戻ると数百年が過ぎていて、開いた玉手箱の煙によって老人になるという浦島太郎の伝説は、丹後半島を本家として全国各地に伝わっている。平安時代に整えられた物語が全国に流布したのだろう。
この伝承がいつから木曽谷に取り入れられたのかはっきりしないが、おそらく木曽が中山道の一部として整備された徳川時代からと推定している。
江戸時代の商才に長けた人が観光振興に智恵を貸したのではなかろうか。

寝覚ノ床のすぐ東に寝覚山臨川寺(りんせんじ)という寺院があり、別名として浦島寺とも呼ばれている。ここでは寺の創建に浦島太郎が関わっているとしている。

[臨川寺]

拝観200円、8:00-1700
宝物館に浦島太郎が使ったという釣り竿などを展示している。
境内から浦島堂まで歩道あり。急な階段や不整地のため足元注意。


■訪問での印象

寝覚ノ床は大勢の観光客に溢れるというほどのことはないようだ。大多数の観光客は国道沿いの表ルートから巨岩の上に建つ浦島堂まで歩くだけである。
夕方に裏ルートである町営駐車場から寝覚ノ床中心部、戻って反対(下流)側の裏寝覚まで往復する間、誰にも会うことがなかった。裏寝覚への遊歩道は崩落通行止にされていたが注意すれば入れる状態だった。


■最新訪問時期:2012年12月




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