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白瀬南極探検隊記念館(秋田):極地踏破に生涯を賭けた男

カテゴリー見出し博物館

白瀬記念館前景

名称白瀬南極探検隊記念館
所在地秋田県にかほ市黒川字岩潟15-3
(旧町名:秋田県由利郡金浦町(このうらまち))
ジャンル歴史文化 特定個人・白瀬矗(しらせのぶ)の記念館
開館時間9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日月曜日(祝日の場合は翌日) 年末年始
料金大人300円
鉄道とバス・JR羽越本線・金浦駅、「駅前」バス停から乗車、「白瀬記念館入口」下車徒歩3分
・金浦駅から距離1.5km徒歩25分
マイカー                    ・日本海に沿う国道7号線から案内にしたがって入る
・自動車専用道路は2013年時点でまだ通じていないため、北からの秋田自動車道、または南からの山形自動車道を利用した後、国道7号線に乗る。駐車場あり
その他の基点・秋田空港から金浦駅まで合同タクシー、エアポートライナーあり
・秋田市街から南へ50km
・山形県酒田市から北へ40km
問合わせ0184-38-3765
HPhttp://hyper.city.nikaho.akita.jp/shirase/

◇地名読み方
金浦:このうら 由利:ゆり  


■博物館の概要

・1990年(平成2年)開館 規模は中程度  設立運営は金浦町、平成合併により、にかほ市へ移管
・まだ近代装備の整わなかった明治期に、日本人として初めて南極探検に業績を上げた当地出身の白瀬中尉を記念した博物館。白瀬中尉の半生をたどる記念品多数を展示のほか、南極探検史、科学的な側面も解説。
・白瀬中尉は使用していないが、近年に使われていた雪上車を展示している。
・小型シアター「オーロラドーム」でハイビジョン記録されたオーロラ映像を見せてくれる。
・レストランなし、展示室要員は必要に応じて受付が兼ねる
・館内撮影不可


基礎知識
(白瀬の経歴は記念館HPWikipediaに詳細あり)
 
・白瀬矗は文久元年(1861年)、秋田県由利郡金浦村の生まれ。
・「中尉」という呼び方は軍人時代からの通称。
 白瀬ポートレイト
(経歴抄録)
少年時代から北極探検を志し、意識して陸軍に入る。明治26年、郡司海軍大尉の千島探検計画を知り、これに参加。ところがずさんな計画のために多くの隊員が死亡、救出された白瀬にとって多くを学ぶ経験になった。
 
明治38年、日露戦争の会戦で負傷した後、中尉となる。
明治42年、アメリカの探検隊が北極点を初踏破したため、目標を人類未踏の南極点に転換。
大隈重信や乃木希典の援助、国民の募金を得て明治4311月、隊員27名で芝浦を出航、オーストラリア経由で南極を目指す(国の支援は得られなかった)。この時、折しもイギリス・スコット隊、ノルウェー・アムンセン隊も南極に迫っていた。
 
明治44年(1911年)11月、シドニーを出航(白瀬50歳)。
12月、アムンセン隊が南極点を踏破、のち全員帰還。
明治451月、スコット隊5名が南極点に到達、のち全員死亡。
当時は持ち運べる通信機がなく、これらの情報を白瀬隊は知らなかった。
 
スコット隊が極点到達する前日に、白瀬隊は南極ロス海に到着、上陸開始。
ブリザードや雪盲に苦しみ、9日目の128日ついに前進を断念、野営地を「大和雪原(やまとゆきはら)」と名付けて、3日後船へ引き返した。
 大和雪原
この野営地は残念ながら南極大陸ではなく棚氷だったことが後に判明した。真の極点踏破は56年後に村山雅美隊長(この記念館の名誉館長、2006年死去)らが達成することになる。
帰国した白瀬らは熱狂に迎えられたが、のちの半生は20年以上かかって借金の返済に追われ、全国を講演して回る日々が続いた。
昭和21年死去。享年85歳。
 
■館の内容について
 
明治期の南極探索の様子、南極の自然、現在にいたる科学調査の概要が詳しく説明されていて、それだけでも見応えがある。
・同時期に南極点到達を競ったスコット隊、アムンセン隊と白瀬隊の記録フィルムをテレビ画面で見ることができる。
 ・オーロラドームという部屋があり、ドーム形の壁面スクリーンにオーロラ映像を上映してくれる。ただし白瀬本人は南極の夏に行っているのでオーロラを見ていないはずであるし、関心を持っていたという情報もない。
・記念館は黒川紀章の設計になり、氷山と宇宙をイメージしたドーナツ型の外形、中央のオーロラドームが円錐形に尖っている。
  
◆所感

・記念館の立地が東北地方の日本海側という場所柄に加えて展示材料が新しく増えることもなさそうなので、来訪者の誘致は苦しいのではなかろうか。それでも地元としては郷土の英雄として、ムラ興しの目玉にしたかったのか もしれない。経営が黒字かどうかはわからない。しかし個人的に、こういった記念館はずっと維持してもらいたい。全国は無理でも地元の子供たちに必修としてほしい。
 
・記念館としては開館から22年が経過し、最新施設のような華やかさに欠ける。ここで何を得るかは、白瀬中尉という人物の生涯に共鳴できるかどうかにかかっている。展示室に架けられている晩年の白瀬夫妻の写真を前に、何を感じられるだろうか。

◇白瀬に聞いてみたいこと

リーダーの仲間に対する責任と自身の夢の実現という観点から。
白瀬は若い軍人時代に参加した千島探検で死に瀕した時、責任者を強く批判したという。その経験があって自分がリーダーとして南極に挑むには重い責任を自覚していたことだろう。結果として全員の生還と引き替えに、極点到達を断念することになった。
彼にとって南極点到達は人生のすべてを賭けた挑戦であり、二度目のチャンスはないことも十分解っていただろう。しかもスコット隊、アムンセン隊が先に到達したことは知らず、自らが人類初という快挙を実現できる寸前まで近づいていた。
隊員の募集にあたっては「係累無きこと」を条件にしてあり、最終隊員の5名は当然危険を覚悟していたはずだった。
もし、命と引き替えてもよいと考えたなら、前進を続けたのではないか。
後の白瀬はこの決断についてどう語ったのだろう。触れたくない記憶だったのか、誇りある決断として話せただろうか。
展示館の見学ではわからない。


■最新訪問時期:20127
■参考資料:『白瀬南極探検隊記念館総合案内』平成33月・白瀬南極探検隊記念館発行 




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