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石山寺の珪灰石(滋賀):名刹を招き寄せた奇岩

カテゴリー見出地形地質

石山寺代表
石山寺境内で柵に囲まれている巨石。背後の建物は多宝塔。

【このカテゴリ「地形地質探訪記」はこれまで地学に馴染みのなかった方に、大地の成り立ちの面白さを伝えるために作製しています】

名称石山寺珪灰石  (いしやまでら けいかいせき)
国指定天然記念物 地質百選
所在地滋賀県大津市石山寺1-1-1 (主な珪灰石は寺の境内)
交通機関JR石山駅にて京阪電車石坂線に乗り換え→石山寺駅下車、徒歩10分
JR石山駅から京阪バス10分「石山寺山門前」下車すぐ
マイカー名神高速道路瀬田西ICから10分、瀬田東ICから15分
京滋バイパス石山ICから10分、
駐車場有料600円
その他の基点京都市中心部から20km
大津市中心部から9km
見学・拝観時間午前8時~午後4時30分(入山は午後4時まで)
入山料:500円(珪灰石見学でも同じ)
付帯施設石山寺観光案内所(石山寺観光会館内):境内入口手前(珪灰石の情報は詳しくない)
問合わせ石山寺 077-537-0013 http://www.ishiyamadera.or.jp
石山寺観光協会 077-537-1105

◇地名読み方
石山寺:いしやまでら 粟津:あわづ 
鹿跳橋:ししとびばし 一老坊:いちろぼう 鈴鹿:すずか 綿向山:わたむきやま   
◇地質用語・歴史用語等
珪灰石:けいかいせき 緑簾石:りょくれんせき 褶曲:しゅうきょく 銅鐸:どうたく 閃石:せんせき
良弁上人:ろうべんしょうにん

石山寺地形図

■石山寺とは

関西では知らぬ者のない由緒ある名刹。
良弁上人を開基とする石山寺は、天平勝宝1年(749年)、大仏造立を発願した聖武天皇の勅願により瀬田川西岸の景勝地に開創された。
以来朝廷や貴族の尊崇を受け、西国三十三所観音霊場として参詣者を集めている。
創建時は東大寺華厳宗、9世紀から真言宗の寺院となる。
平安期の内陣を残す本堂、頼朝寄進による鎌倉期の多宝塔、古文書類などの国宝、『石山寺縁起絵巻』、『源氏物語絵巻』などの重要文化財多数を蔵する。紫式部は本堂に籠もって『源氏物語』を構想したと伝える。

石山寺多宝塔 12世紀に源頼朝が寄進した多宝塔(国宝)

■考古学の面から

◇ 貝 塚

石山寺の面する瀬田川河岸では縄文時代早期(6000-7000年前)の貝塚と、埋葬された縄文人骨が発見されている。琵琶湖周辺から瀬田川にかけては縄文遺跡が多く、瀬田橋上流側の湖底で平成2年から調査された粟津湖底遺跡などは大量のシジミ貝殻や土器類などが発見され、琵琶湖博物館で常設展示されている。貝塚の存在は数千年前から豊かで住みやすい土地だったことを物語る。石山寺前の貝塚は「石山貝塚」と名付けられたが、今は駐車場の地下に隠れていて見ることはできず、記念碑が建っている。

石山寺貝塚記念碑 境内へ入る手前、駐車場近くの貝塚記念碑。

◇ 銅 鐸

8世紀に石山寺を建立する際に地中から五尺(150cm)の銅鐸が出土したと『石山寺縁起絵巻』が伝える。ただし石山寺に重文として現在所蔵されている高さ91cmの銅鐸は11世紀に1km離れた一老坊(いちのごう)遺跡で発見されたもので、『石山寺縁起絵巻』に伝わる物とは別とされている。
『縁起』の記述で五尺という国内最大となるサイズは信頼できないが、大型の銅鐸が出土したことは事実だろう。その銅鐸はほどなく行方不明になったと考えられる。11世紀に近くで発見された銅鐸は、すでに不明となっていた銅鐸の代替品として扱われた可能性が高い。
いずれにしても謎の多い弥生の祭器である銅鐸が埋まっていたのは非常に興味深い。

石山寺Wiki銅鐸 一般的な大型銅鐸。8世紀に出土した物も所蔵されている物もほぼ同型と推定される。

当地は古代から奇岩景勝地として知られていたらしく、その場所を選んで石山寺は建立されたと考えられる。奇岩怪石が神秘性を感じさせたのだろう。古来から巨岩などの自然造形に神が宿るとする思想は普遍的にあり、石山寺創建の以前にも何らかの祭祀施設があったことは十分想像できる。

石山寺は歴史の面からも特筆すべき場所だが、ここでは寺号の由来にもなった奇岩に象徴される地質面から注目してみる。


■石山寺の珪灰石とは

◇[説明板の記述]

「天然記念物 石山寺硅灰石  大津市石山寺1丁目
硅灰石は石灰岩が地中から突出した花崗岩と接触し、その熱作用のために変質したものです。この作用によって通常は大理石となりますが、この石山寺のように雄大な硅灰石となっているのは珍しいものです。
石山寺の硅灰石は20ミリメートル大の短い柱状の結晶となったものや、5ミリメートル大のものが50ミリメートル大に集合したものがあって、表面は淡黄色あるいは淡褐色をしています。しかし新鮮なものは純白色をしています。
また、この硅灰石のほか大理石、ベープ石、石灰岩からなる大岩塊は褶曲のありさまが明らかにわかるものとして貴重なものであり、石山寺の「石山」の起こりとなったものです。
大正11年3月に国の天然記念物に指定されました。
大津市教育委員会  昭和59年2月」


※石山寺では「硅灰石」の字を用い、地質の本では「珪灰石」と書いている。


◇珪灰石を正しく見分けるには

説明板の文面は地質の解説文として解りやすいほうだが、幾らか補足しておかないと誤解しやすい。冒頭で多宝塔をバックにした写真に写っている高さ数メートルの巨岩群の一部に珪灰石が含まれている、というのが正しい表現で、岩の大部分は大理石である。珪灰石の部分は画像の通り。大きく褶曲し、汚れて黒っぽく見えている。

石山寺珪灰石文字入 

さて、この珪灰石から地学の面白さを提供できるだろうか?
まず以下で一般に解るように説明を試みる。

■珪灰石の元となった石灰岩とはどんな岩か

石灰岩は海洋においてサンゴを中心とする多くの生物が堆積し、殻や骨といった固い部分が固まり、長い年月を経て岩になったものである。カルシウム成分に富み、化石を多く含む。一般にサンゴ礁は熱帯から温帯の海まで広く分布するが、日本での石灰岩はほとんどが赤道付近に成育する種のサンゴ礁で成り立っている。温帯に位置する日本列島の内陸に存在する理由は、海洋のプレートが動くことで運ばれて、陸上にのし上げたからである。
(このプレートの動きを説明するのが「プレート・テクトニクス」だが、その説明は後日へ)

石灰岩は周知の通りセメントの原料になるため、多くの石灰岩地帯では大規模に採掘されている。もうひとつ付きものなのは鍾乳洞で、見学できるような場所がないとしても、地中には洞窟ができている。

■石灰岩地帯のカルスト地形

石山寺珪灰石裏側 珪灰石を反対側から見下ろす

やはり石灰岩地帯である山口県秋吉台に代表されるカルスト地形は、この石山寺の珪灰石とよく似ている。カルスト地形というのは石灰岩地帯が雨にさらされるうちに溶かされ、地表で多くの岩が空に向かって突きだすものが典型的な姿である。石山寺のように一部が珪灰石や大理石になっているとその部分は侵食に強いため丸い頭になる。弱い部分がどんどん雨に溶かされて強い頭部に守られた固まりが背の高いまま残るため、目を引く奇観となる。
石山寺の岩もいわば「溶け残り」であり、小規模なカルスト地形と言ってよい。
ただし地下には熱を与えた花崗岩が広がっていると推定されていて、画像にある「くぐり岩」のほかに人の入れるような鍾乳洞はなさそうである。

石山寺くぐり岩 境内入口近くにある「くぐり岩」。手書き説明板に「大理石です」と書いてあるが、正しくは石灰岩(後述)。

■石灰岩が変質するとはどういうことか


石灰岩は岩となる過程で熱を受けることがなかったために、高温にさらされると変質する。「接触した花崗岩」というのは地中深くにあるマグマの固まった岩であり、このマグマは固まる前に地中の亀裂を伝って上昇してくる。ここでは上昇した先に偶然あったのが石灰岩の固まりで、マグマはそこで動きを止められゆっくりと冷却され、固まって花崗岩となっていった。石灰岩の一部は融けてマグマに取り込まれてしまっただろう。融けなかった部分はマグマが固まってからも熱を受け続けて変質し、石灰岩由来の珪灰石や大理石となった。

また、説明板に「通常できる大理石」とあるのは装飾によく使われる白色度の高い石で、珪灰石よりも広く分布している。大理石という呼び方は建築で好まれる通称で、地質学では結晶質石灰岩と呼ぶ(ここでは一般に馴染みやすい大理石という呼び方を用いておく)。

「変質」というのは珪灰石でも大理石でも熱を受けることで粒が揃って大きな結晶構造となることを指し、その過程を経ると石灰岩の時には含まれていた生物化石が消えてしまう。
このように融けることなく結晶構造が変化することを「変成」と呼び、岩石を三大別するときの「変成岩」は熱や圧力で結晶の変化した岩石を指している。なお結晶構造が変化するというのは分子の並び方が変わるということで、化学組成は変化しない。見た目には別の物質のようになってしまうことが多い。

境内や周辺では珪灰石ばかりでなく、大理石や、熱をあまり受けていない石灰岩、海で堆積した石灰岩以外のチャートや泥岩、それらが熱や圧力で変質した岩、また熱を与えた側の花崗岩もわずかに露出している。見えている岩が全部珪灰石や石灰岩なのではない。

石山寺チャート 多宝塔の東で露出しているチャート


■大理石と珪灰石ではどう違うのか?

大理石も珪灰石も、元となった石灰岩は海洋生物の積み重なったものである。生物の軟らかい部分は分解されてしまうので、殻や骨といったカルシウムに富む固い部分が残って石となった。化学的に言えば主成分は炭酸カルシウム(CaCO3)である。これが長い時間を経て細かい方解石という鉱物の集合になったものが石灰岩である。時には泥や砂など不純物の混じることがあり、石灰岩の中でも純度の高いものから低いものまで様々である。
そこから熱によって変成されるのは次の構図となる。
石山寺化学式
・大理石は方解石(CaCO3)のまま、熱変成によって結晶が大きくなったもの。石灰岩に不純物がなく十分な変成を受ければ、きれいな白色の大理石ができる。

元の石灰岩に不純物が多かったかどうかで、熱を受けたときに大理石になるか、珪灰石になるかが分かれる。中間的な状態も多い。
そして、熱が少なかったときには緑簾石やアクチノ閃石という石になるはずなので、珪灰石は変質するに十分な、それでいて融けない範囲の熱にさらされたということになる。

珪灰石自体は、鉱物として特に珍しいとは言えない。石灰岩地帯で規模は小さくともよく見つかるものである。
母岩である石灰岩は国内各地にあり、石山寺の近くでも東に広がる鈴鹿山脈の北部から関ヶ原を経て伊吹山まで続いている(下の地図参照)。
ちなみに石灰岩の採掘から始まるセメント産業は実は有力な輸出産業であり、純度の高い日本の石灰岩は数少ない高品質天然資源として世界に流通している。


■不純物が石灰岩に混じる状況

純度が高ければ熱によって大理石ができ、珪灰石はできないはずである。
なぜ石山寺付近では珪灰石になるような純度の低い石灰岩なのか?
それは何を物語るのか?

純粋な石灰岩ができるには、きれいなサンゴ礁があればよい。きれいという意味は生物の殻などの炭酸カルシウム(CaCO3)以外の物質が混ざらないことであり、実際の海洋では陸地の河川から泥や砂が不純物として入ってくる。

サンゴ礁が陸地から遠いか、または小さな陸地であることが不純物を避ける条件となる。
ただしサンゴは浅い海に生育するものなので自ずと陸地が近いということになり、現に熱帯地域の大陸縁辺に発達しているサンゴ礁からは、混ざりもの付きの石灰岩が生まれていく。

これに対し日本に多いという純度の高い石灰岩は、赤道付近で小さな火山島を中心とした浅い海で発達したサンゴ礁に由来すると言われている。
そして石山寺地域のように不純物が混じっている石灰岩は、どこかの段階で砂や泥が混入してきたということになる。そのポイントが判明すれば、近畿地方東部の大地がどのような過程を経て現在の姿になったのかのヒントが見えてくるはずなのだが、この点はまだはっきり解らない。

それ以前に問題もある。「不純物」と述べてきたが、この実体は砂や泥だけでなく、熱を与えた花崗岩そのものだという考え方もある。また、チャートという、石灰岩とは別の海洋性堆積岩が不純物として関与している可能性も高い。
まだまだ未解明の問題を残しているのである。


◇天然記念物・綿向山の接触変成岩との関係

石山寺から東南東40km、鈴鹿山脈の西麓にある天然記念物「綿向山麓の接触変質地帯」でも同様の珪灰石が存在している(下図)。この付近は鈴鹿山脈北部から伊吹山へ続く石灰岩地帯の南端に当たる。ここでは珪灰石だけでなく、石灰岩以外の砂岩や泥岩といった堆積岩が熱変成を受けた様子が見られる(総称として「ホルンフェルス」と呼ばれている)。
熱で変質する化学的な仕組みは同じであり、どちらも次に述べる遙か昔の火山活動が根本原因と疑われている。


◇8000万年前の大規模火山活動


石山寺珪灰石を生むことになった熱源のマグマは、火山活動の一環として地下から上昇したきたものだった。
その火山活動は滋賀県南東部一帯で直径30km以上に円形の痕跡を残している。
余りに古いため地形では分からないものの、巨大なカルデラを形成したことを示すリング状の分布が残り「湖東コールドロン」と呼ばれている。時期は恐竜も歩いていた白亜紀後期で、まだ日本列島の形になっていなかった。

コールドロンという言葉は一般に馴染みがないがすでに全国で見つかっていて、1億年くらい前に盛んだった大規模な火山活動の跡である。
湖東コールドロンに残っている火山岩の分析では石山寺付近の熱源となった花崗岩と共通する要素が見られることから、当時の同じ火山活動によって石山寺珪灰石の生まれた可能性が言われている。

石山寺コールドロン地形図

なお、この時期の大規模火山活動というのは日本列島だけでなく、全地球的な広がりがあったと言われている。時期は白亜紀後期。6500万年前に隕石衝突で絶滅する恐竜たちは、火山噴火と隣り合わせに生きていたのである。

◇現在の姿になるまでをたどる

・8000万年より古い時期、この石灰岩を含む大きな岩の集まりが海からやって来て陸地に付け加えられた(「付加作用」「付加体」と呼ぶ)。このときはまだ地表に出ず、地中にあった。

・8000万年前頃、盛んな火山活動の中でマグマに接し、一部が変成した。

・この時期に前後して、強い地殻変動の力を受けて地層は褶曲した。褶曲は一定以上の熱がないとできないので、熱変成と褶曲は同時に作用していたと推定される。

・火山活動が終焉してから長い間、岩はそれ以上変化していないことから大きな出来事はなかったと推定され、比較的最近の200万年前ころになって隆起が始まった。

・地表に露出した石灰岩や珪灰石などは雨や河川による侵食を受け、残った部分が現在見るような奇岩になった。

・確認ができないが、石山寺建立に際しても岩の一部は削られたことだろう。冒頭写真にある多宝塔前の岩は意図して残されたと想像している。


◇蛇足1:石の汚れ

掲載写真にあるように、大理石は白いのに珪灰石は随分黒く見える。しかし本来は珪灰石も白いのであって、黒いのは汚れである。結晶の向きで凸凹面が外を向き、ゴミが入り込んでしまうらしい。
この汚れはブラシで落とせるのかもしれないが、現代社会の問題として知っておいてもらいたいことは酸性雨による化学的な劣化である。
通常の雨でも少しずつ石灰岩や珪灰石は溶けていくのだが、近年は雨の酸性度が上がっているために加速している。鎌倉大仏など野天の金属類、セメントが原料であるコンクリート構造物、丈夫なはずの花崗岩を利用した墓石も同じ状況にさらされている。
石山寺建立から1200年、同じ程度の溶解が今後100年で進むのだろうか。


◇蛇足2:本当の「大理石」

述べてきたように、もともと大理石という言葉は熱変成を受けて変質した石灰岩を指していた。だから地質学では「結晶質石灰岩」と呼ぶ。「ミロのビーナス」など彫刻の材料に好まれる均一な白色になるのはこうした真の大理石であって、熱変成していない石灰岩では不規則な模様が残り、純白とはいかない。イタリアは石灰岩を多量に産する土地で、その一部が熱変成された大理石になっている。古代ギリシャやローマの彫像・建築は高級な大理石を惜しげもなく使用したものである。

ところが建築の世界ではいつのまにか普通の石灰岩も「大理石」と呼ぶようになり、すでに市民権を得たようである。例えばデパートの壁石も大理石とされている。デパートの壁で化石を探そうという“科学的な”催しが時々ある。もし本当の大理石であれば熱を受けて残っているはずはない。石灰岩だから化石が見つかるのである。


◆最新訪問時期:2012年11月

◆主要参考図書
『改訂・滋賀県地学のガイド』(上・下)コロナ社2002年滋賀県高等学校理科教育会編
『日本列島ジオサイト地質百選』オーム社 平成19年
『日本の変成岩』橋本光男 岩波書店 1987年
『新版地学教育講座8日本列島のおいたち』地学団体研究会編1995年

◇当ブログ関連記事へのリンク
博物館訪問記:琵琶湖博物館
山岳探勝:伊吹山



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