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上野原遺跡(鹿児島):火山噴火と同居した縄文人

カテゴリー見出古代史

上野原遺跡屋外展示

■概要
上野原遺跡は鹿児島湾を見下ろす250mの台地状に残る縄文・弥生から中世までの複合遺跡。工業団地造成に先立つ調査によって発見された。定住していたことがはっきり分かる縄文遺跡では早期前葉(9500年前)と国内最古級であることがわかり、注目された。

名称上野原遺跡 (うえのはらー)
国指定史跡
出土品767点が重要文化財指定
日本の歴史公園100選
所在地鹿児島県霧島市国分上野原縄文の森
(旧・鹿児島県国分市)
対象年代縄文時代早期(9500年前~6000年前)、および弥生時代から中世
交通機関JR国分駅から「いわさきバス」、「上野原遺跡」バス停下車(便数等不明)
マイカー九州自動車道溝辺鹿児島空港ICから40分
東九州自動車道国分ICから15分
無料駐車場あり
(注:国道10号線で丘陵の東に回り「テクノパーク入口」交差点から入る)
その他の基点JR国分駅から8km、20分
鹿児島空港から20km、40分
鹿児島市中心部から40km、1時間20分
付帯施設[上野原縄文の森]:遺跡・展示館・埋蔵文化財センターを含む公園全体を指す
開園時間:9:00ー17:00 
休園日:月曜(祝日の場合は翌日)、12月30日ー1月1日
入園無料

[縄文の森上野原遺跡展示館]、「埋蔵文化財センター」など
問合わせ[上野原縄文の森総合案内]
0995-48-5701
http://www.jomon-no-mori.jp/

◇地名読み方
国分:こくぶ 鬼界:きかい 日向:ひゅうが 錦江湾:きんこうわん

◆見学詳細

・遺跡全体が「上野原縄文の森」という公園として平成14年開園した。
・公園の入園・駐車場は無料
・復元家屋のある園地も含め、公園の開園時間しか入れない。

◇縄文の森展示館
展示館
・縄文の森展示館は当ブログ「博物館訪問記」で取り上げるに相応しい施設だが、展示内容が遺跡と重複するため、ここで紹介する。

・開館時間:9:00ー17:00、入館は16:30まで 
・休館日:休園日と同じ
・入館料:大人300円
・シアター、レストラン、売店、展望所併設、図書室あり
・展示室内撮影可
・見学要1時間程度
・年数回、企画展を開催
・展示館では土器や石器など出土品の実物に丁寧な解説を付けて、当時のムラの様子を再現したジオラマと共に展示している。
・奄美地方も含む鹿児島の縄文遺跡全般を紹介している。
・展示館とは離れて公園内にも実際の発掘場所に覆い屋根を設置した「地層観察館」「遺跡展示館」が設置されている。

◇遺跡保存館
遺跡保存館
縄文時代の遺構を発掘時の状態で見学できる。

◇地層観察館
上野原地層観察館
遺跡のある台地に降り積もった火山灰など、2万年以上前から堆積した地層の実物を観察できる。
火山灰・軽石などの火山噴出物層から土器類が発見されることで人の暮らしていた時期がはっきり分かる。


■遺跡内容

・発掘調査により石器時代の生活痕から中世の遺物まで発見され、長期に渡る複合遺跡に分類される。学術的に注目されるのは縄文時代早期から中期で、復元家屋もその時期を想定している。

上野原年表  

・発見が昭和61年と新しい。縄文時代の遺跡はそれまで東日本に多く、九州では数少なかった。しかも早期から中期という早い時期の集落ということで注目された。

・復元家屋の形状は「砲弾型」と呼ばれるタイプ。根拠は、柱の穴が細く円形に多数並んでいたことだという。本当にこの形状だったという証拠はない。家屋の復元はよく遺跡のオリジナリティーとして表現される傾向があり多分に想像が加わっているため、真に受けることは禁物である。

・集落の規模は52棟の住居跡が発見されているが同時期に使われていたのは5棟程度、人口は数十名と推定されている。建て直しが繰り返されて長い期間で52棟分の痕跡が残った。
時代が下る青森の三内丸山遺跡(当ブログ別記事)では人口200名と推定され、大勢で協力しないと造れない大型建造物跡が見つかってるが、上野原遺跡では家族で暮らす住居よりも大きな建物跡は発見されていない。集落規模としては縄文時代に全国で見られる平均的なものだったようだ。

・地形はシラスと呼ばれる2万年以上前に形成された火砕流台地(※)が侵食から残ったもので、鹿児島湾(錦江湾)から250mの崖にそびえ、内陸側には丘陵が続いている。交易や漁のため海に出るには崖を迂回して上り下りする必要があった。生活用水は内陸側の少し低い谷筋で細い湧水があり、少人数であれば足りただろうと推定されている。逆に大人数には不足で、この水場の制限が、居住可能人数を決めていたかもしれない。
全国で見れば古代の遺跡は川に近い微高地に多い。高台での居住は本来不便で、敢えて選んだ理由について詳しくは解っていない。

・縄文の森展示館の内容は非常に立派で充実しているのだが、遺跡は一時騒がれたほどの大発見ではないと感じている。目玉となるような際立った遺物がなく、一般受けは難しそうである。しかし学問というのはこういった地味な作業の積み重ねから大きな成果を生むのだろう。


(※シラス、火砕流については当ブログ別記事「地形地質探訪・桜島」参照)


■鬼界カルデラ噴火と上野原

地図

この遺跡が貴重なひとつの理由は、地質学によって時期の判明している火山灰が厚く堆積し、遺物の埋没時期がはっきり分かることである。周辺は南部九州の活火山銀座で、縄文人が居住していた数千年の間には幾度となく桜島の大噴火に直面したことが火山灰や軽石の層から分かる。それでも集落が継続したのは大噴火の間隙が100年でもあれば十分暮らせたからだろう。

その噴火の中でも樹木が全滅するような大きな災害となったのが7300年前(館内展示では6300年前と表示)の海底火山による鬼界カルデラ噴火である。このとき、住民がどのような運命をたどったのかはっきり分かっていないが、その後もしばらくして生活が再開されている。火山災害といっても高熱の火砕流に直撃されでもしないと全滅はあり得ないので、縄文人は一時的に避難し、植生の回復とともに帰ってきたと考えられている。あるいは子孫でなく、別系統の集団が移住してきた可能性も大きい。
注目しておきたい問題は、南部九州全体で社会の進歩するペースが落ちたのかしれないということだ。

鬼界カルデラ大噴火の火山灰は関東まで降り積もっていて、国内での火山噴火では縄文期から現在までの1万年間で最大のものと言われている。
一般に火山噴火で火砕流や噴石の直撃を受けるのは至近距離に限る。鬼界カルデラ噴火中心位置と上野原遺跡では100km離れているので噴石はまず飛んでこないし、250mもの高台なので、海を渡るという火砕流も、津波も届かないはずである。灰が降り積もっても犠牲者は普通出ない。
(イタリアのポンペイ遺跡はベスビオ山から10kmの位置にあり、火山灰が数メートルの厚みに積もったことと、不運にも火砕流が向かってきたことにより被害が大きくなったと考えられている)
しかし噴火が治まるまで無事だったとしても、植物が全滅してしまったら、動物も人も暮らせない。
この災厄は南部九州の文化にどんな影響を与えたのだろうか?

(当ブログ別記事「博物館訪問記」に取り上げた九州国立博物館で、この鬼界カルデラ大噴火から人々や動物の逃げまどう場面がシアター上映されている)

※鬼界カルデラ噴火の年代
地質学ではC14年代法暦年較正によってこれを7300年前とするのが一般的となっているため、ここでもそれを採用した。考古学では考え方が分かれ、上野原遺跡の展示館では6300年前と表示されている。



■推論:社会の発達境界を考える

鬼界カルデラ大噴火を受けた後、上野原遺跡および鹿児島湾周辺から発見される土器には変化が見られ、全国に共通する様式になったという。これは避難先で影響されたというより、他地域から新たに移入してきた人々が持ち込んで来たと解釈するほうが自然であろう。

大噴火を目の当たりにして生き残った人々もそれを伝え聞いた人も、そんな土地には住めないと考えるのが当然である。森からの採集ができなくなった以上、鹿児島湾周辺は無人の野になったと考えられる。
そして災厄の記憶が薄れ、森が豊かさを取り戻した頃に戻ってきたのではないか。

福岡や佐賀といった北部九州に半島から稲作が伝来して以後は弥生時代となる。時期は最近の研究で徐々に遡り、紀元前600-700年とされているので、鬼界カルデラ大噴火から3500年後である。

弥生時代からは福岡佐賀を中心とした北部九州が日本の先進地域として栄え、3世紀後半からは近畿地方に移る。その間、鹿児島や宮崎の南部九州はまるで日本史から取り残されたように考古学的に語るものが乏しくなる。

「日向」という言葉は今では宮崎地方を指すが、古代においては鹿児島地方も含んだ南部九州一帯を指した。このことは地域の独自性がヤマト朝廷の置かれた国内中心地まで伝わらなかったことを示し、交流の乏しさが窺える。日向において弥生時代の遺物は北部九州とまるで異質で、大陸との交流の証拠である青銅器もほとんどない。日本の中心と関連するようになるのは古墳時代に入る4世紀からであり、3世紀までの南部九州は日本史から蚊帳の外に置かれているかのようだ。

北部九州と南部九州との境界は熊本県南部と、その東で火山の存在しない九州山地にあるようだ。この“文化断層”の原因が霧島火山群、桜島、海中に隠れている鬼界カルデラによる火山活動にあるという気がしてならない。

■最新訪問時期:2012年6月







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