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桜島(鹿児島):生活圏の隣で噴火と成長を続ける火山

カテゴリー見出地形地質

  桜島吉野町から2

九州の南端に位置する桜島を訪れる機会は、大多数の人にとって滅多にないことかもしれない。しかし火山列島日本でも桜島は特に活発な噴火活動を続け、背中合わせに大勢の生活が営まれていることでは、国内随一の注目するべき火山と言うべきであろう。ここでは初訪問者向けの情報と、噴火活動と特有の火山構造を中心に紹介してみる。長文となったが、桜島への興味を惹き起こし、火山列島日本への関心を高めていただけることを期待している。 
名称桜島(さくらじま)
霧島錦江湾国立公園(2012年3月16日に霧島屋久国立公園から分離)
活火山指定Aランク(最高ランク) 
地質百選
日本200名山(御岳)
所在地鹿児島県鹿児島市(全体が鹿児島市に属する。島の西半分は旧桜島町)
交通機関鹿児島市中心部から桜島フェリーで所要15分、一人150円、車一台1480円
島内の定期観光バス、レンタカー、レンタサイクルもあり
マイカー鹿児島空港から国道220号経由で80分、島内の各ポイントに駐車場あり
地名等の読み方
[島内地名]
袴腰:はかまごし 黒神:くろかみ 有村:ありむら 古里:ふるさと 御岳:おんたけ
鍋山:なべやま 
新島:しんじま 燃島:もえじま
[周辺地名]
錦江湾:きんこうわん 肝属:きもつき 姶良:あいら  鬼界:きかい 加久藤:かくとう
新燃岳:しんもえたけ
[歴史的語句]
天平宝字:てんぴょうほうじ 安永:あんえい

 桜島九州広域図九州広域図(クリックで拡大)

桜島は錦江湾(鹿児島湾)の海底から盛り上がる楕円形の火山で、霧島火山帯の中央部に聳える。海上の山体は1万3000年前(2万年前とも)から成長を始め、北岳(=御岳:1117m)・南岳・中岳といった別個に成長した高まりが積み重なっている。国内でも有数な活動度を保ち、日常的に噴火して火山灰を島内はもとより鹿児島市など周辺一帯に降らせる。噴火の回数(※)は1年で数百回、最近数年は活発になり2011年には1355回を数えた。

もとは島だったが、大正3年の溶岩流で大隅半島と陸続きになった。その繋がった場所で国道224号線が渡っている。
溶岩の流れる噴火は昭和21年から止んでいて、その後は噴石を飛ばし灰を降らせる噴火が続いている。
鹿児島を知らない人には桜島は無人というイメージがあるかもしれないが、太古から人が住み続け、現在は人口約5000人が辛抱強く火山灰と共生している。

植生は乏しく、中腹以上は赤茶色や灰色の岩しか見えない。人の居住も海岸沿いに限られる。
なお地形としては大正噴火で半島となったが、慣例的に「島」と呼ばれる。ここでも島と表記する。

※噴火回数の数え方
桜島では噴煙が噴火口から1000m上がると1回と数える。目視観測によるので、実際には雲に隠れて数えられなかった噴火もある。

 
■主な付帯施設
 
◇袴腰(桜島港周辺)地区(島の西部:住所は桜島横山町)
(この地区の施設は大正溶岩の上に建っている)
 
桜島ビジターセンター
桜島ビジターセンター
9:00-17:00、無料、無休、
鹿児島市桜島横山町1722番地29 099-293-2443
桜島港フェリーターミナルから500m、駐車場あり
 
・国民宿舎レインボー桜島
日帰り入浴・宿泊施設
入浴:1000-2200、不定休、300円  099-293-2323
桜島港フェリーターミナルから400m、駐車場あり
 
・桜島溶岩なぎさ公園・足湯
桜島なぎさ公園
海岸沿いの溶岩原を散策する遊歩道。全長3km、入場自由。
ビジターセンターのすぐ裏
 
・湯之平展望所
標高373m、北岳から2.5kmの展望所。鹿児島市街地も良好。入場自由。
 
◇有村地区(島の東南部)
 
・有村溶岩展望所
桜島有村展望所
大正3年の溶岩地帯に設けられた全長1kmの遊歩道。溶岩原を観察するスポットでは島内でいちばん広い。
駐車場あり、入場自由
 
◇野尻地区(島の西南部)
 
・国際火山砂防センター
野尻川の土石流に対する防災活動を紹介する展示施設。
9:30-1700、月曜休み、無料 099-221-2030
桜島野尻川
 
■見学のガイド
 
◇見学コース
海岸線に沿った島の外周は36km。マイカー利用ならば半日で主なポイントを巡ることが可能。見学スポットは全部自由、無料。一般向きのスポットは島の西と南側に多い。火口は見学できないので、火山観察としては主に溶岩原に注目することになる。学習施設として袴腰のビジターセンターは必修である。
 
◇火山への観察ヒント
要所ごとに説明板が設置されている。岩石の科学的な観察は予備知識がないと難しいが、各時代の溶岩原分布の図(下に掲載)を入手して海岸沿いを巡れば、島を拡大していく火山活動のダイナミズムを想像できる。
 
◇火山岩以外の注目ポイン
溶岩原にはそれぞれ時代差があり、時間経過による植生遷移を観察する好適地にもなっている。200年前の安永溶岩ではすでに中高木の森に覆われ、もっとも新しい昭和溶岩は70年を経て、中低木が成長を始めている。
 
◇立入禁止エリア
現在の噴火活動は南岳と昭和火口からで、そこから半径2kmは立入禁止である。主要な山頂部全体が立入禁止区域に含まれ、以前は北岳(御岳)まで登山ができたが、昭和30年の噴火で犠牲者が出て以来、登山禁止になっている。もちろん登山道も消滅した。
 
◇火山灰への注意
2011年ころから噴火回数が多くなり、訪問時に火山灰に降られることがある。灰がどこに降るかは風向き次第であり、鹿児島のラジオ放送を聞いていると降灰情報が流れている。灰にまみれると髪はジャリジャリ、服はザラザラ、クルマは灰色になることを覚悟しておくこと。運転もスリップ注意である。なお島内に洗車場はない。
桜島噴火見上げる
 
 
 桜島の成り立ち                 

■火山構造の基本
 
錦江湾(=鹿児島湾)は大きな火山が陥没してできたカルデラ地形と呼ばれる窪地で、姶良カルデラと称される(後に詳述)。陥没しても火山活動は続き、再び盛り上がった部分が桜島で一般に中央火口丘と呼ばれる。周囲を取り囲む錦江湾は最大水深206m・平均120mあるので、海水を抜いて窪地状のカルデラ底から見た場合、山の高さは1300mになるとも言える。

桜島溶岩分布図 桜島溶岩分布図(クリックで拡大)
 
■噴火史
 
有史(文字記録開始)から明治までの噴火一覧
 
・和銅元年(708)地方史文書に「向島湧出」と最古の記録あり。「向島」とは桜島のこと。
8世紀中に『続日本紀』など数件の記録あり。主に海底噴火と思われ、犠牲者被害もあり。天平堂宇8(764)噴火では溶岩流が今も残る。
 
・応仁2(1468)山頂での噴火。これは3年後の大噴火への前兆現象ともみなせる。
・文明3(1471)~文明10(1478)いわゆる文明大噴火
              今に残る溶岩流出、被害甚大。
・寛永19(1642)から30年程度の間隔で小噴火を続ける。
・安永8(1779)から安永9(1780)安永の大噴火
              溶岩流出、大量の軽石、関東までの火山灰降下、新島など安永諸島の出現、津波の発生(海底での陥没が原因か)、農作物被害、死者約150名。その後寛政年間まで約60年活動が続く。
 
・万延元年(1860)山頂噴火
・明治32(1899)山頂噴火
 
大正以後の噴火詳細
 
<1>大正3(1914)112日~4(1915) 山頂噴火
 
この噴火は国内有史以来、最大級の噴火となった。科学的な記録、気象台の予測誤り、多くの前兆現象、地震や津波災害など、多くの教訓を残している。
 
◇前兆現象
・前年から南部九州一帯で地震が多発
・前年7月に有毒ガス噴出によって死亡事故が起きる
・前年11月に40km離れた霧島のお鉢で爆発
・前年から桜島の井戸水が減水や増水する、錦江湾の対岸でも同様
・噴火の20日ほど前に海水が熱水となり、生け簀の魚類が死ぬ。各地で触れないほど地熱が高まり、冬なのに虫が出てきた
・噴火の前日に山の斜面から崩落激しくなり、地鳴り響き、大きな雷音が発生
・噴火直前に火口から白煙が立ち上った
 
◇噴火の経緯
112日午前8時、鍋山の西と西桜島の500m地点という山頂部を挟んだ2個所でほぼ同時に噴煙が上がる
2時間後の1005分、西桜島の噴煙位置やや下から黒煙に続いて大爆発。10分遅れて、鍋山付近でも黒煙を噴出、全島が黒煙に覆われ夜のようになる
8時間後の午後6時、桜島と鹿児島市の中間付近を震源としてM7.1の地震が発生。この地震による死傷者がもっとも多かった。
・午後7時半、津波の発生
113日午前1時、最大の爆発が起きる。午後8時まで爆発が続く。噴煙は上空8000mまで届き、噴石落下無数、火砕流や火災で幾つかの部落が消失。夜間から爆発は収まり、溶岩の流出が始まる
114日 溶岩流は袴腰(現在フェリー乗り場のある地区)へ迫る
115日 溶岩流が海に到達、小島を飲み込んで広がる
2月上旬になって溶岩流出は停止
・東部の鍋山付近から流出した溶岩は500mあった瀬戸海峡を埋めていき、129日に大隅半島と陸続きになった
・鍋山付近では2月に入って新しい火口から溶岩が流出し始め、翌大正4年にかけて先の溶岩流を覆っていった。
 
◇被害
・島内の8部落が全滅、島内家屋の約半数が焼失、犠牲者は58名(半分以上は島外にて)、21000人いた住民の3分の2が島を離れた
 
◇地殻の変動
大正噴火では安永噴火のような島の出現はなかった代わりに、最大2.6mの地盤沈降、4.53mの水平移動が観測された。鹿児島市中心部で40cmほど低くなった。
注目すべきことに、沈降量を地図に記入していくと同心円の中心が桜島のやや北の海になる。これは姶良カルデラの中心部である。噴火によって中心地下の溶岩が地表に吐き出された分、地中に生じた空洞を埋めるように地盤が沈降したものと推定される。地震と津波の発生はこの沈降が瞬時に起きたことが直接原因と疑われるが確証はない。
また水平移動は西桜島の噴火位置を中心として、島が主に南北方向へ膨らむように動いている。これは溶岩ドームのように、深部からの膨張圧力が作用していると考えられるが、これも確証はない。この推定のように膨張力が作用するならば山頂も高くなっていくように思われるが、実際噴火前には隆起がゆっくり進み、噴火後に低くなっていたことが観測されている。噴火で低くなるのは姶良カルデラの沈降に伴った動きと考えられ、水平方向に一度膨らんだものは簡単に戻らないのだとも解釈できそうである。
大正噴火ではこれらの科学的なデータが記録されたことで後世の研究に大きな意義を残している。
◇気象台の予報失敗
・大正3の噴火では気象台が「噴火のおそれなし」と活動予想を低く発表したために被害が拡大し、犠牲者も出たことが問題となった。信じたために逃げ遅れた人もいる一 方、大多数の住民は経験則から独自判断で避難した。現在のような観測技術がない時代、正しい予報を出すのは困難。それでも安全だと断言してしまったのは批 判を免れないだろう。その後気象台がどう責任を取ったかは不明である。

<2>昭和21(1946)3月山頂噴火
 
大正噴火のあとしばし平穏の後、昭和10年から活動が再開された。
・昭和10(1935)南岳付近で小規模の爆発、火山灰の降下
・昭和13(1938)~昭和14(1939)黒煙の噴出、南岳の南東に火口ができて爆発。火柱を上げ火山弾を降らせる。
・昭和15(1940)~昭和20(1945)南岳付近で更に火口を作り黒煙を上げる
・昭和21(1946)39日、爆発、大きな噴煙、夜になって溶岩が黒神方面と有村方面に流出。黒神では今に残る埋没鳥居が生成された。
・溶岩流は2ヶ月以上をかけて黒神と有村にあった集落を埋めながら海に達して島を広げ、停止した。この後現在まで溶岩の流出する噴火は起きていない。
 
[大正噴火と昭和噴火との関連]
・大正噴火で顕著だった前兆現象は昭和噴火でほとんどなかった。その原因は32年前の大正噴火によって火道(マグマの通路)が拡大されていて溶岩がスムーズに上昇したから(『桜島~噴火と災害の歴史』による)と言われるが、定かでない。
・前兆現象が少なかった理由には発散されたエネルギー規模が比較的小さかったこともありそうである。流出した溶岩の量も大正噴火より少なく、被害も軽微に収まっている。
 
<3>昭和23年から現在までの活動
 
・昭和23(1948)小爆発、噴煙活動続く
・昭和30(1955)1013日、南岳の火口から爆発。登山者が死傷(以後、登山禁止)。
・昭和40(1965)南東側に新しい火口が誕生。昭和30年爆発の火口と交替に活動を始め、現在まで続いている。
・平成20年頃から噴火回数が急増している原因は不明。霧島の新燃岳が活発化していることとの関連が疑われているが確証はなく、近い将来大爆発が起きるかどうかも不明。
・将来、数千年後までに島は溶岩によってさらに拡大していくと予想される。
 
 
■地質面からの注目点
桜島はなぜこれほど活発な活動を続けるのか?九州南部で火山帯が発達している原因はどこにあるのか?火山としての仕組みを覗いてみたい。
 
■桜島を含む姶良カルデラとは何か
 姶良カルデラは錦江湾(鹿児島湾)のうち、桜島の北側にあたる円形部分で重なる、火山活動によって陥没した直径約20kmのお椀型(正確には“じょうご形”)の地形である。大部分は海中にあるのでお椀型の様子を目で見ることはできないが、鹿児島市街から湾に沿って北へ続く急な崖はカルデラの西縁である。
 桜島アースから文字入り01
カルデラとは地中のマグマ物質の放出によってできた空隙が上部の崩落することで埋められた地形で、本来は窪地になる。阿蘇のカルデラなどは窪地が土砂に埋まったために平坦になったものである。鹿児島の池田湖や青森の十和田湖は水の溜まったカルデラ湖である。
 
姶良カルデラの場合、28000年前から25000年前の期間に大噴火を繰り返したことで、現在の地形を残すことになった。この噴火は現在に至るまでの25000年間で国内最大噴火とされ、九州南部の広い範囲に火山灰や火砕流からなる「シラス台地」を形成した。錦江湾の北で鹿児島空港のある台地や、縄文時代の上野原遺跡(訪問記参照)が乗っている台地もこのシラス台地の一部で、250mの高さ(厚み)がある。
桜島牧園シラス  
ただし姶良カルデラの地形はこの時期の噴火活動だけでなく、それ以前の長い期間続いていた活動で作られたものであり、東の肝属半島、西の薩摩半島に挟まれた錦江湾の低い地形は数十万年前から存在していた。
錦江湾の地形は直接には噴火活動が作っているかのようであるが、その火山活動を誘発する原因として地殻の動きがあることも注目しておくべきである。
  
■姶良カルデラができた原因
姶良カルデラを誕生させ、桜島などの火山活動の原因となった数十万年以上続いている地殻変動とは何か。
それは宮崎県えびの市の加久藤カルデラから錦江湾南部に至る南北75kmの低い地形(「鹿児島地溝」と呼ぶ)を作った動きで、簡単に言えば、この地域は東西に広がろうとしている。引き伸ばす力が働いているために、正断層を発達させ、陥没を続けているのである。そういう場所では表層の地殻が薄くなり亀裂としての断層も多いため、深部のマグマが噴出して火山を生みやすい。
この根本的な動きこそ、霧島火山~桜島~開聞岳~硫黄島、加久藤カルデラ、小林カルデラ、姶良カルデラ、阿多カルデラ、池田カルデラ、鬼界カルデラといった火山地形を生んだ原因である。
九州では同様な別の地域「別府島原地溝」が中部にもあるが、ここでは触れない。
(別府島原地溝については、構想している阿蘇山の小稿に盛り込む予定です)
 
桜島広域火山分布地溝帯図
 
■原因の原因、および第2原因について
鹿児島地溝が東西に広がる動きをしているのならば、その動きの原因は何なのか?
また、このような地溝帯で火山が誕生し易いと書いたが、この場所で火山活動の多いことを一般的に説明する場合は、沖合でのフィリピン海プレートの潜り込みが語られるものだ。これが第2原因というよりも第1原因として説明されることが多い。ここで地殻の東西広がりを強調したのはこの限られた地域の特殊性に注目したためであり、プレート潜り込みは一般的な火山発生原因には違いないものの、この鹿児島地溝という構造に注目しなければ説明として不充分だと考えるからである。
それではこの地域はなぜ広がっていくのか?これこそ日本列島全体から東アジアの地質活動に繋がる興味深いところなのだが、ここで述べるのは難しい。筆者の勉強も専門家の探求もまだ途上である。いずれ想像も含めて取り上げるつもりではある。
ヒントとなりそうなのはプレートのせめぎ合いである。日本列島に東南から押し寄せているプレートの力は地殻の圧縮オンリーで作用しているのではなく、複雑な絡み合いで一種の間隙になった部分では逆に地殻が広がろうとしているからである。
 
■姶良カルデラと桜島の特殊な関係(筆者の推論が入っています)
よくあるカルデラでは、大噴火→陥没→活動再開→カルデラ内部に新しい火山の成長、という順序に進み、新しい火山の高まりを中央火口丘と呼び、カルデラ内の中程にできることが多い。しかし桜島は姶良カルデラの南端に位置している。これはどう解釈するべきか。
 
調査によれば、湾の最深部である姶良カルデラ中心部と別に、桜島の下部にも噴火エネルギーの元であるマグマ溜まりが存在するらしい。マグマ溜まりとは液体状のマグマが溜まっている空間で、何らかの理由で圧力が高まると膨張し、噴火に至る。その深さはカルデラ中心部の地下が10km、桜島の地下はずっと浅く2-6kmと推定されている。
 
また、25000年前の大爆発を含む激しい活動の際、噴出物は現在海底にあるカルデラ中心部と別に、現桜島の位置からも大量に供給されていることが、分布の調査からわかっている。これは複数の離れた場所で噴火活動があったことを示している(ただし一連の噴火は3000年程度継続されているので、同時に噴火したことはないであろう)。
 
加えて大爆発とその後の陥没の際に、現在の桜島の位置がすっかり低くなったとも考えにくい。湾内の最深部は頂上から15km北東に離れていること、陸上に堆積している噴出物の様子、海底地形などからも桜島は大爆発前から火山として存在し、陥没の際にも高まりを保っていたらしい。その後新たな噴出物が古い山体の上に現在の山を作っていったのだろう。実際、袴腰には約10万年前の、より古い火砕流堆積物と姶良カルデラ噴出物、桜島火山灰が重なる台地が残っており、10万年以上陸地であり続けていることを示している。
 
こう考えると、姶良カルデラ中心部と桜島は、親火山と中央火口丘と見なさず別の火山と位置付けるほうが良いのかもしれない。大噴火までは姶良カルデラ中心部へマグマが多くもたらされ、大爆発の後は桜島への供給が増えているのではないか。
 
■桜島誕生史と有史以前の噴火活動
・桜島の誕生は、13000年前からという説と、25000年前(26000年とも)という説とがある。13000年前とする考えは北岳(御岳)の成長を基準にしているようであるが、25000年前の姶良大爆発直後から桜島の活動は継続しているので、この古いほうを誕生時期とするのが主流のようである。
 
・姶良カルデラが爆発を起こした25000年前の様子を推察すると、錦江湾北部は大部分が陸地だった。それはまだ陥没による窪地ができていないからだけでなく、当時は全地球的な寒冷期にあたり海水面が100m以上低かったからである。火山灰の観察からも噴火したのは水面下でなく陸上の火山だったことが分かっている。
その後急速な地球温暖化と海面上昇によって、海面前後からの爆発の痕跡が加わってくる。桜島はこの海面上昇に追いかけられるように高さを増していったのだろう。その様子を海面から眺めることができたなら、山が上空へ逃げているように見えたかもしれない。
 
・現在の3つある山頂のうち、北岳がまず高くなり4900年前まで噴火活動をしていた。その後噴火位置は南へ移動し、南岳を作りながら、北岳との間に寄生火山として小振りな中岳を生み、鍋山などの中腹噴火を伴いながら現在まで続いている。
 
・先に活動を終えた北岳では南岳からの噴出物に覆われることが少なく、むしろ崩壊が進行して山麓のなだらかな扇状地地形を形成した。このために島の北西部では溶岩原がなく、人の生活や農業には好都合になった。
 
・溶岩流や火山灰、スコリアと呼ばれる小石の落下などは有史以前にも繰り返されたはずであるが、現在の表面は新しいものに覆われている。富士山のような綺麗な円錐形にならないのは噴火位置が一定しないこともあるが、山の大部分が噴出物の積み重なりではなく溶岩ドーム(=溶岩円頂丘)と呼ばれる岩体の膨らみであることによる。
 ・溶岩ドームとは、昭和新山や雲仙の平成新山のように、先に固結した岩が下から押し出されて割れながらドーム状に盛り上がったものである。桜島の上部ではこの構造が多く、最初から割れかけた岩が積み重なっているので簡単に崩落し、土石流をもたらす。島の西南、野尻地区は土石流と戦う最前線である。

■絶えず続く地殻変動
 どこの火山でも同じだが、噴火が近づくと山が膨張してくる。噴火後は急速に元に戻り、その後ゆっくりと膨張が再開されるというサイクルを続ける。これは地中深くのエネルギー量が反映された現象で、直接の膨張力はマグマそのものよりも水蒸気などの気体の膨張圧力による。近年はGPS技術を用いて固定個所の変動を測定し、噴火予測に役立てている。
前記したように、桜島では噴火によって地殻変動を繰り返してきた。大正大噴火では数メートルも動いたが、現在でも活動が活発になると桜島はわずかに隆起したり沈降したりしている。すなわち北岳の標高1117mも、ミリ単位では始終変動しているらしい。
 
■同時に島の両側で噴火するのはなぜか
 有史以後の文明噴火・安永噴火・大正噴火はいずれも活動中の南岳頂上を挟んだ両側で噴火し、溶岩が流れている。このような噴火活動はあまり例がない。
よく判明している大正噴火では噴火位置が10個所以上に上り、直線状に並んでいる(溶岩分布図参照)。これは何を語るのだろうか。
 
『みんなの桜島』p24ではこの点について、「板状に上昇するマグマ」として図解している。この板とは水平でなく、縦になった板である。その板を持ち上げていくと上辺のふたつの角が地表に達する。マグマが板の形状で上昇して2個所で吹き出したという解釈だ。
桜島アース板状マグマ
ただし実際に地中でマグマが図のような板状になっているとは考えにくく、むしろ割れ目噴火の一種だからと捉えるべきではなかろうか。基本原因として板状に近い構造があるとしても、もっと詳細に検討する必要がある。
 
     新島(燃島/安永島)など、安永諸島の誕生
桜島の東北海上に浮かぶこの小さな島々に注目するのは、噴火時の地盤隆起という珍しい現象だからである。その仕組みはまだ十分解明されているとは言えない。
 
◇新島(しんじま)&安永諸島とは
 
230年前の安永噴火の時、桜島の東北で海中噴火とともに多くの島が出現した。
誕生した諸島のうち最大の島が新島で、周囲2200m、最高点37m。桜島本島との距離1200m
最初は二つの島だったが1ヶ月後に合体し、さらに新たな二つの島が一体となった。諸島で5番目に誕生したので五番島とも呼ぶ。
桜島新島
誕生した諸島はすぐに浸食で消滅したものもあり、現在、新島、中ノ島(軽石島)、硫黄島の
3つが小さな島として残っている。もうひとつ猪ノ子島は満潮時に隠れてしまうので島に分類されていない。
新島は軽石層でできていて海食に弱く、誕生当初よりすでに半分以下になっていているため護岸措置が施されている。
付近の海中にはあと少しで島になったであろう多数の高まりがあり、火口地形も確認されている。
また安永噴火の溶岩はこの諸島周辺に流れ込んでいるが、島はすでに高まりだったために、溶岩を被ってはいない。
 
◇新島&安永諸島の特異性
 これらの島が誕生した仕組みは、通常の火山成長のように自らの噴出物によって高くなったのとは少々違っている。海底にあった高まりが地盤の隆起によって運び上げられたものである。島を成す軽石層というのは噴出物であるが、噴火口がその場にあったのでなく、北東に数キロ離れた姶良カルデラ中心部から2万年以上前の大噴火の時にもたらされて広範囲に堆積したものである。大噴火の時には先述のように陸地だったが、その後の海面上昇などで安永噴火以前には水中にあった。
 
とすると、安永噴火では火山のセオリーとして噴火後に地盤全体が沈降するはずなのに、安永諸島はなぜ隆起したのかという疑問が残る。安永噴火は江戸時代のため地殻変動の観測はなされなかったが、後の大正噴火では桜島全体とともにセオリー通りの沈降が観測されている。なぜ125年前の安永噴火では隆起したのか?筆者はここに大きな不思議を感じた。
 
この点について、『日本の地形7九州・南西諸島』(東大出版会)p163では、「海底に流入した溶岩流が海底堆積物中に併入して海底が押し上げられ~(福山・小野、1981)」と記している。
“併入(へいにゅう)”という言葉に割り込んで押し広げるという意味を含ませているのだろう。この場合は溶岩流が島となる地面を持ち上げるほどの力を発揮したということになる。この説はこの文章のままでは信じられなかったが、次の考え方を参照することで理解可能になった。
 
2012/11鹿児島県立博物館からの情報】
鹿児島大学地質総合研究所の鹿野氏によれば、新島だけはその深部で局所的に深部からのマグマの圧力が高まって地面を持ち上げたものであり、新島以外の諸島はそうではない。このマグマは桜島から流れてきたものではなく、海底においても噴出していない。かなり珍しい現象となるが、この説が有力視されている。
 
つまり、『日本の地形7九州・南西諸島』に論述される説をやや修正して、流入した溶岩流でなく、新島の下部(おそらく直下か)からの上昇圧力が高まることで隆起したという考えである。イメージとしては、溶岩ドームが膨らむ現象に似ている。新島ではドームの頂部に古い堆積層が乗ったまま隆起したということになる。
この考えが正しいならば、あと少しマグマの上昇圧力が強ければその場で噴火し、新しい火山が誕生しただろう。
また、大正噴火では特に動きがなかったことから、安永諸島地下でのマグマ活動は安永の一時期だけで止まってしまったということになる。偶然の重なりが生んだ新島出現である。しかし、これで新島以外の幾つかの安永諸島が隆起したことも説明できるのだろうか、その辺はよく解らない。
溶岩ドームが膨らむ現象は雲仙の平成新山を始め幾らでも例があるが、それが海中で起こり島を出現させたのはあまり聞かない。まだ専門家でも仮説段階であり、今後の研究が期待される。珍しい現象として注目してみた。
 
■桜島周辺の火山

桜島火山を理解するには周辺の簡単な状況も知っておいたほうがよい。
先に25000年前の姶良噴火が最大級と書いたが、その前や後にも日本の自然や歴史に影響を残した大噴火が九州で起きている。
 
■阿蘇山の噴火
姶良火山噴火より古く9万年前、阿蘇は大規模な活動が続いて中部九州一帯に火砕流を流し、現在見る阿蘇カルデラ地形を誕生させた。高千穂峡や豊後竹田の柱状節理を残し、この時期の火山灰は関東はもちろん北海道にまで降り積もり、「阿蘇テフラ」として年代測定の指標に利用されている。この噴火活動は最近9万年以内で最大のものとされる。
 桜島高千穂峡

■鬼界カルデラの噴火
姶良火山より後、7300年前には薩摩半島の沖合で海底火山の大噴火が起きた。現在活発な薩摩硫黄島(いおうじま)の硫黄岳はカルデラ壁に位置している。火山体のほとんどが水面下にあるので実感しにくいが、海底には火山地形があり、活動は終わっていない。噴火によって上野原遺跡など南九州一帯の縄文文化は壊滅したと言われる。噴火の火山灰は東北にまで達し、「鬼界テフラ」として指標になっている。
なお屋久島や種子島はこの火山活動と関係ない。
 
■池田カルデラと開聞岳
薩摩半島の最南端で綺麗な三角錐を見せる開聞岳は平安時代9世紀の噴火が記録されている。池田カルデラをはじめ周辺には数千年前を中心とした火山活動が多くの地形を残しているが、姶良カルデラなどに較べれば小規模で、現在は平穏である。
桜島開聞岳  
■霧島岳
天孫降臨伝説も秘めているこの連山は20km長に渡り、数十万年前から現在まで、噴火位置を変えながら長く活動を続けている。歴史的な大爆発を起こさないのはマグマが1個所に溜まらず移動しているかららしい。そうなる原因は不明である。
歴史時代に入ってからは東南の御鉢と中央付近の新燃岳が活動している。新燃岳は2009年から活発化し、火口から2km以内は立入禁止が続いている。
筆者は2008年には新燃岳を歩いたが、以後接近できずに困っている。
 桜島新燃岳
 
★訪問散策雑感★
 
ここまでは地質面の紹介が大部分になったが、桜島は文化・社会の面からも興味深い地域である。
 
◇近代史の舞台としての桜島
 
・東南の瀬戸地区には旧薩摩藩の造船所があり、安政元年(1854)洋式軍艦「昇平丸」に史上初の「日の丸」が掲げられた。のち、大正噴火の溶岩で瀬戸地区は埋まり、本土と陸続きになった
・幕末には島周辺が薩英戦争の舞台となった
・フェリー乗り場の近くに第二次大戦中に掘られた地下壕がある。本土決戦に備えて海軍が掘ったもので奥行き60m、幅160mに網の目状に巡らされているという。残念ながら公開されていない。
  
◇火山灰は健康を害するのか?
 
・医療関係者のサイトを見ると、火山灰を吸い込むことは、呼吸器に疾患のある人以外、健康な人には問題ないとされる。島内よりむしろ細かい粒子が届く30kmくらい離れた地域で、疾患が起きているという。島内で降ってくる大きい粒子は肺の奧まで侵入しないからだそうだ。
一方で呼吸器疾患が桜島と周辺で多いとの逆の指摘もあるらしいが、発ガンなど重大な疾患への関係は確かめられていない。
そして確認される疾患というものも、都会での呼吸器疾患の発生より少ないという。都会の空気のほうが火山灰より有害で、都会人は危険な呼吸を24時間続けているということだろう。
 
◇生活の東西格差
 
島の東側は近年まで西側より経済的に厳しい地域で、現在も人口が少ない。平成大合併のずっと以前から東部は鹿児島市に編入し、近い側の西部は桜島町だった。西部は農業生産力にすぐれ、豊かだったからである。
東西格差の理由は地形にあり、東側では比較的新しい(有史以来)溶岩原が海岸まで届いて起伏の激しい土地になっている。溶岩流の間隙である低い地形を埋めるはずの土石流がまだ少ないため扇状地が未発達で、生活にも農業にも不利である。周回道路を走ってみると東部では上ったり下りたりの坂道が連続している。
 
◇降灰体験
 
筆者はちょうど降灰と降雨が重なるという貴重な(?)体験ができた。水に濡れた灰は貼り付いて、汚れが激しく見える。島内には洗車場がなく、霧島市まで走ってから落とすことができた。普通の町なら視線を集めたことだろうが、鹿児島では日常のようだ。自分もすぐに入浴・洗濯したのは言うまでもない。車に異常は生じなかったが、窓の開閉時に砂を擦る音がしばらく聞こえていた。
桜島灰と車
 
◇桜島フェリーの活況
 
・鹿児島市中心部と桜島を結ぶ鹿児島市経営の桜島フェリーは24時間運行。料金は一人150円。車一台1480円。多数の島民がフェリー乗り場に駐車して対岸へ通勤するらしい。深夜も1時間に一便が運行している。筆者は乗船しなかったので入り混み具合は見ていないが、この料金で黒字経営というのが驚異である。また船内でうどんが評判らしい。乗船時間は15分なので、乗り込んだらすぐに食べ始めなければならない。

桜島桜島フェリー
 
◇その他の注目ポイント
 
・小学生は噴石対策のヘルメット着用(大人はなぜかぶらないのか?)。
・生活エリアに噴石を避ける避難壕が設置されている
桜島待避壕

・火山特有の土石流が作った水はけの良い扇状地地形を利用して果樹栽培が盛ん。
・火山島ながら温泉は少なく、海岸沿いのみ。保水力が乏しいからだろう。
・大きな噴火の後には人口が減少する(死亡によるのではない)。
・火山活動をメリットに生かそうという努力はずっと続けられている。しかし得られたものよりは、不便さのほうがやはり上回るようだ。ドライに生活の質を求める人は既に島を脱出しているかもしれない。
 
◇余談
 
大正噴火のあと、1万人以上が島に住むことを断念し人口は三分の一に減った。その後昭和噴火を経て、現在は5000人が暮らしている。
最近の60年間大噴火は起きていないが、日常的な噴火は音響といい火山灰降下といい、決して有り難いことではない。それでも桜島に住むのはなぜだろう。単に変化を受け容れられないからと言い切れるのか?
この活火山のたもとで人々がどう生活してきたのか、災害とどう戦っているのか。自然災害大国・日本の住民として、桜島の人々から学ぶべき事は多そうだ。
 
 
■最新訪問時期:20126
 
参考図書
『桜島-噴火と災害の歴史』石川秀雄 共立出版 19928
『みんなの桜島』NPO法人桜島ミュージアム 南方新社 20114
『鹿児島県地学のガイド(上)』鹿児島県地学会 コロナ社 19918
『フィールドガイド日本の火山5九州の火山』高橋正樹+小林哲夫 築地書館 19993
『日本の地形7九州・南西諸島』東大出版会 200111
 
当ブログ小稿は特に『桜島-噴火と災害の歴史』『みんなの桜島』を参考にさせて頂きました。この両書は一般書店では入手困難で、ネット通販、または『みんなの桜島』(\1200tax)は桜島ビジターセンターからも直接購入できます。
桜島みんなの桜島
この本はビジターセンターを運営するNPO法人のスタッフが編集したもので、地質・噴火史・観光・文化まで紹介しているお奨めの一冊です。
 
 
 

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  • 2017/08/23(水) 07:10:09 |
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